ピカソ 『頭蓋骨のある静物』

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鉄格子のような違和感のある窓ガラスのある部屋は尋常な雰囲気ではない。テーブルの右上にはまだ生々しく感じる歯と鋭い角を持つ、牛の頭蓋骨。まるでサイボーグのようにも見える。そして、その前には変わった形をした花瓶の中に、痛そうな三角形の葉を持ち、先の尖った花びらが活けてある。不思議な絵だ。
この作品は1942年、第2次世界大戦の真只中、パリで描いたピカソの『頭蓋骨のある静物』(1947)だ。
ピカソの戦争(抵抗)画といえば、多くの人が『ゲルニカ』(1937)を思い出すだろう。彼の祖国であるスペインのバスク地方のゲルニカ村が、フランコ将軍に味方したナチスの爆撃機によって壊滅されたことに対して、彼の怒りが爆発し、抗議のために描いた作品である。
パリはすでに、ナチスの支配下にあり、ナチスを非難した『ゲルニカ』を描いたピカソの評判はよくなかった。しかし、彼に作品の発表を禁止した以外は、特に圧力をかけたりはしなかったようだ。
ピカソもアトリエで黙々と絵を描く。しかし、戦争に対する静かな抵抗が感じられる作品を手掛ける。
ピカソは、「闘牛」に影響があるのかないのか、私にはわからないが、時々、「牛」を暴力的な象徴とする。
そして、この作品や『牛の頭蓋』(1942)では、戦争の醜さ、恐怖、おぞましさを「牛」、それもすでに死んでしまった「頭蓋骨」で表す。
それに対して、葉を精一杯広げ、汚れのない白い花は、牛の頭蓋骨に何かを訴えているかのようだ。今は、牢のような場所にいるが、「決してこのままであってはいけない」という、強い叫びを花の仕草から感じるのである。


昨年、大原美術館に行った時、この『頭蓋骨のある静物』を鑑賞することができた。この作品を購入した大原氏の伝記、『大原總一郎 へこたれない理想主義』(中央文庫)を買って読んでみたが、大変興味深い。
大原氏はどうしてもこの作品が購入したくて、所有者のパリのルイズ・レイリス画廊に聞いたところ、1000万円といってきた(1951,2年)。しかし、用意できた現金は330万円。結局、大原美術館蔵の絵の何点かを売り、2年ほどかけて清算したという。
そのやっと手元に入れた絵が、現在、東京近代美術館で開催されている「モダンパラダイス 東西名画の饗宴」の第4章「夢かうつつか」(このタイトルには疑問)の中で、鑑賞することができる。
東西対比(東京VS大原)ということで、ピカソと同じく、戦争に賛成しなかった靉光の『眼のある風景』と対比させている。
何かを見つめながら、意味を越えた無意識の闇に迫ろうとした靉光と、戦時下に絵を通して自己と向き合ったピカソとして。

個人的には、この作品の右側にある藤田嗣治の『血戦ガダルカナル』(1944)と対比させてみた。
まず2人には親交がある。彼らは第2次世界大戦前のパリで大活躍していた。そして互いに異邦人である。
藤田がピカソのキュビズムに感化され、ピカソも藤田の画法に高い関心を示し、彼の絵の前で、数時間いたという話はよく知られている。
決定的に違うのは2点。スペイン人のピカソは戦争になっても、故国に帰らず、藤田は敵国ということもあって、日本に帰る。戦争画にのめりこんだ藤田と、戦争に抵抗しながらも、第2次世界大戦中は、公にそのような絵は描けず、心の中の戦争抵抗画を描いたピカソ。
「戦争」ということをテーマにすれば、2人の「絵」と「心」は、計り知れない大きな隔たりがあるのではないだろうか。
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by van__gogh | 2006-09-02 09:37 | Trackback | Comments(0)
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