カテゴリ:アメリカ人画家( 4 )

カフェ

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私にとってカフェとは、人と気楽に話せる場所、待ち合わせの場所、そして疲れた時や時間つぶしに1人で使う場所だ。
実は今日も、カフェで1時間半ほど時間をつぶし、挙句の果て、数分居眠りまでしてしまった。レストランではできないことも、カフェではできることが多い。
さらに、雨の日や、寒い冬の日のカフェほどありがたいものはない。濡れた体や、冷たくなった体にやさしい、ホッとする場所なのだ。
エドワード・ホッパーの描いた『自動販売機』に出てくる女性の場合はどうだろう。
きっと、静かな冬の夜だ。左側にはストーブがあり、彼女の表情を見ると、寒そうには感じない。
それにも関らず、カップを持っていない左手は手袋をはめたまま。コートも帽子も身に付けたまま。
もし、待ち合わせの人が来るのであれば、おそらくコートを脱ぐだろう。また、待ち合わせの人が来て、すぐ移動するため、コートを脱がないというのも、彼女の仕草からは想像できない。
では、なぜ彼女は脱がないのだろう。脱ぐ気ににもなれない無気力感。そして喪失感だろうか…。何だかわかるような気もする。
エドワード・ホッパーはこの絵の題名を『自動販売機』と名付けた。
人との会話も全くなく、頑丈な四角い鉄製の箱から、ボタンを押せば出てくる便利な自動販売機。
時間も会話もしばられない空間。ただ目的のものを得て立ち去るだけ。それは、彼女の無気力感・喪失感と共通だ。
しかしカフェとは、時には誰からも束縛されない、自分をさらけ出せる大切な公の空間ではないだろうか。

☆エドワード・ホッパー 『自動販売機』 1927年 油彩 アイオワ・デ・モイン・アートセンター
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by van__gogh | 2008-06-28 23:20 | アメリカ人画家 | Trackback | Comments(0)

デイジーとニューヨーク

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デイジーには何だか特別の親しみを感じる。というのは、まず私の大好きな映画
"You've got mail"の中で、メグ・ライアンが主役を演じるキャサリンが一番好きな花だということ。
彼女はニューヨークのアッパーウェストで、小さな児童書店”The Shop Around the
Corner"(私のブログ名もここからきている)を営む。
幼い時から、いい本を読むことが大切だという信念で、利益も少ないながら、どうにかこのお店を経営している。
そんな心優しい彼女が、デイジーが好きな理由を、”So friendly" と言っている。そして、この花を見る時の顔がなんとも愛らしい。
コスモスよりも力強く、ユリやバラのように気取っていなく、とても身近で、親しみのある花がデイジーだ。
そしてもう一つ、私がデイジーに特別心を寄せてしまう理由。それはシカゴ美術館で鑑賞したジョージア・オキーフの「黄色い葉とデイジー」(1928)があまりにも美しかったからだ。こんなに美しい描き方があるのかと。
この作品はたった1輪のデイジーなのに、特別の存在感がある。黄色の葉にやさしく守られながら、自己主張をしている。
静謐であり、自然な感じなのに、透明感があり、完成品でもある。
そして、周りの黄色い葉の色っぽさと、ツヤツヤ感もたまらない。
普段、肖像画にばかりに興味を持ってしまう私だけれど、オキーフの花の絵は別だ。
彼女の描く花はただの花ではない。観る人に、もっともっと輝いて、もっともっと美しく・・・と話しかけられているように感じるのは、私だけだろうか・・・。
彼女はどんな時でも、どんな場所でも、「最も純粋で、最も真実な」という気持ちで絵を描いていたという。
オキーフはこの作品をニューヨークで描いた。華やかな大都会の中で、大きな注目を浴びた。その反面、厳しい批判も受けて落ち込んだりもした。
オキーフはこのデイジーをどこで見たのだろうか・・・。
ニューヨークというと、バラやユリのようなゴージャス花を浮かべがちだ。しかし人々が心の中で求めている花は、デイジーのような素朴で純真な花なのかもしれない。

☆ジョージア・オキーフ『黄色い葉とデイジー』 1928年 シカゴ美術館 

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児童向けの本なのですが、オキーフのことを書いた本、『私、ジョージア』(みすず書房)を、ぜひ読んでみたいです。
今、日本にキャサリンのお店があったら、きっとあったかな。。と思います。

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by van__gogh | 2008-01-19 10:12 | アメリカ人画家 | Trackback | Comments(0)

エドワード・ホッパー 『ホテルルーム』

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旅先で1日の用事が終わり、ホテルの自分の部屋にたどり着く。
その時の気持ちはさまざまだろう。
疲れきってしまった時は、すぐにでも寝たいし、楽しいことがあった日には余韻に浸りたいこともある。
ホッパーの描いた『ホテルルーム』のように、ベットや椅子の上に座ってパンフレットを読んだり、次のスケジュールのことを考えたりすることもあるだろう。ただし、下着姿は少数派だと思うけれど・・・。
彼はニューヨークを舞台に、大都会の寂寥感を描き続けた画家だ。この部屋もニューヨークのホテルの一室かも知れない。
彼女が下着姿なのは、おそらく1人旅を強調するためだろう。まだ荷物もそのまま。靴も脱ぎっ放し。
誰にも縛られることなく、縛る人もいない。頼れるのは自分1人。大都会の中で、大勢の人がいても・・・。
ピーンとアイロンのきいた、真っ白なシーツにあてられた眩しいほどの光が、彼女の静かな姿とあまりにも対照的だ。

☆エドワード・ホッパー 『ホテルルーム』 1931年 ルガノ ティッセン・ボルネミスツァ財団
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by van__gogh | 2007-12-06 22:39 | アメリカ人画家 | Trackback | Comments(0)

エドワード・ホッパー『ナイトホークス』


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とても静かなニューヨークの夜。
周りのビルの電気が消え、このダイナーだけが目立つ。暗闇とぶつかり合った光が一層、この店を浮かび上がらせている。見事な光の効果である。
ニューヨークで活躍したエドワード・ホッパー(1882‐1967)の描いた「ナイトホークス(夜更かしする人々)」(1942)だ。
1942年といえば、第2次世界大戦の真っただ中。この絵からもアメリカは軍事関係だけでなく、生活面、文化面でも、はるかに日本より優れていたことがわかる。日本が戦う相手ではなかったような気持ちにさえなる。
彼が描いた都会のアメリカ人の心とはどのようなものだったのだろうか。
「ナイトホークス」のモデルはカフェの店員と男女のカップルと後ろ姿の男性の
4人。彼らには冷たさと異なる「個」というものを感じてしまう。
ホッパーの絵の多くが、人物にあまり感情を入れず、光で表情をつける。そのため、1人1人の存在は孤立感がある。鑑賞者が表情を付け加えてもいいだろう。2人の男女はホッパーの作品には珍しく、会話をしているようだ。しかし、心の中に強い「自己」というものを持ちながら、相手に対して言葉を選んでいるようにも見える。
店員は客の様子を伺いながらも、少し疲れた感じである。そして、後ろ姿の男性は1人で何をしているのだろうか。背広に帽子姿。頭を少しさげ、テーブルに両肘をついている。おそらく、勤め帰りなのだろう。仕事や家庭の悩みに思いふけっているのだろうか。それとも昔の出来事を思い出しているのだろうか。
アルコールではなく、コーヒーというのもいい。
多くの人が「ナイトホークス」に惹かれる理由の1つに、この後ろ姿の男性と自分を重ねられるところではないだろうか。
アメリカは「自由と平等の国」と言われながらも、その裏では、厳しい競争と自己責任が問われる社会である。
精神面で、カウンセリングに通う人も多い。自分の正当性を主張するために、弁護士を立てることも日本とは比較にならない。誰もが自分を守ることに必死なのだ。その結果、自分が1人になってしまう時もあれば、自ら1人になりたいと思うこともある。都会であれば、なおさらだ。
彼の作品は「悲観」を表すものではない。都会で生活していれば、誰もが多かれ少なかれ感じる「孤独の一瞬」をわかりやすく描いている。だから多くの人が、彼の作品に共感するのだ。
そして、ホッパーの絵には、必ず都会の人々に対する優しいまなざしもある。
彼自身、「静かな男」と言われ、自分の生活や作品に対して、多くを語らなかったという。これは彼の後ろ姿でもあるのではないか。
ホッパーの作品の中でも人気のある「ナイトホークス」はアメリカ3大美術館の1つ、シカゴ美術館にある。なぜか、この美術館には彼の作品がこの一作のみ。それも、展示室の片隅にひっそりとある。少し意外でもあった。しかし、絵の前にたどり着いた時、この場所が、いかにもホッパーらしく私には思えたのだ。
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by van__gogh | 2006-04-04 10:20 | アメリカ人画家 | Trackback | Comments(0)