ファン・ゴッホ 『赤いぶどう畑』

f0104004_14512527.jpg
ファン・ゴッホの描いた『赤いぶどう畑』を観るなり、燃えるような一面の赤い色に見入ってしまう。
きっと、彼の目には、赤いぶどうの色が強烈だったに違いない。
ファン・ゴッホはこの絵を南仏アルルで描いた。この地方は太陽の光の元で育った、おいしいぶどうがたくさん実り、多くはワインになるのだろう。
農婦たちは、太陽が沈む前に、最後のひとがんばりで、それぞれの仕事に精を出している。ファン・ゴッホは「腰の描き方」で、人々の働いている姿を、とてもよく表しているのだ。
彼らは、収穫の喜びによる心地よい疲れを感じ、懸命に働いているのだろう。この中のワイン好きの人は、実ったぶどうを見ながら、おいしいワインを想像しているかもしれない。
そして、太陽の光に照らされた川のまぶしい輝きにも私は魅せられてしまうのだ。
アルルで、ファン・ゴッホと一緒に、ぶどう畑を見た1人の画家がいた。共同生活をしていたゴーギャンである。彼の描いた「人間の苦悩」を観てみよう。
f0104004_14533233.jpg
主人公は、ぶどうを収獲している人々ではなく、その手前にいる悲しげで、思いつめている少女の姿だ。
ファン・ゴッホは観たものを描き、想像して描くことが苦手であった。一方、ゴーギャンはその逆で、観たものから想像を膨らませて描く。
だから、彼の絵は、収穫する人々ではなく、赤いぶどうの前で苦悩する少女がテーマなのだ。
ファン・ゴッホの夢は、アルルで画家の共同体を作ることであり、ゴーギャンだけが、その呼びかけに応じてくれる。最初、ファン・ゴッホはうれしくて、ゴーギャンの考えに納得できなくとも、受け入れていた。しかし、2つのぶどうの絵の違いのように、2人の関係は次第に冷え切っていく。そして、ファン・ゴッホは心のバランスを崩し、精神病院に入院してしまうのだ。
そんな苦しい時に、彼を支え続けた弟のテオから一通のうれしい便りが届く。
ブリュッセルの展覧会で、以前ファン・ゴッホが肖像画を描いた、ウジェーヌ・ボックの姉のアンナが、「赤いぶどう畑」を400フランで購入したというのだ。
この作品は2人にとって、忘れられない一枚なのではないだろうか。
なぜならば、ファン・ゴッホが生前売れた唯一の作品と言われるからだ。本当に「唯一」と言えるかはわからないが、きちんとした値段という意味では、この作品だけだろう。
もし私が、「自分の耳を切り、精神病院に入院している全く売れない画家の絵」と聞いていたら、そのことが先入観となってしまっただろう。
豊かな実を結んだ赤いぶどうと、その成長を与えた太陽の光。そして、そこで懸命に働く人々…。きっとアンナは、この作品のすばらしさだけを評価したに違いない。
彼女の鋭い観察眼と、将来を見通せる思い切りのよさは、他の誰よりも抜きん出ていたのだ。「自分の目だけ」を信じて購入されたこの作品。私もそのような「目」を持って、さまざまな作品と向かい合いたいものである。

☆ファン・ゴッホ 「赤い葡萄畑」 油彩 1888年 プーシキン美術館
☆ポール・ゴーギャン 「人間の苦悩」 油彩 1888年 
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-11 14:49 | ファン・ゴッホ | Comments(0)

藤田嗣治『髪を梳く裸婦(ユキの肖像)』

f0104004_2254485.jpgf0104004_22553889.jpg









千葉県佐倉市にある川村記念美術館に行ってきました。お目当てはもちろん、藤田の作品。

f0104004_14101461.jpg
まず、藤田が3番目に結婚したユキ(リュシー・バドゥ)の肖像、『髪を梳く裸婦(ユキの肖像)』(1931)。彼は普段、リュシーのことをユキと呼んでいました。「ユキとは日本でバラ色の雪という意味だ」と言ったそうですが、今一つ意味がわかりません・・・。
もし、「ユキの肖像」と書かれていなければ、思わなかったかもしれませんが、藤田の乳白色について1点、感じたことがありました。
今でも、藤田の描いた絵の中で、「乳白色」が最も好きです。後期に、再び「乳白色」を使っていますが、確かに奥行きも幅、そして色の強弱も初期以上にありますが、模索して、やっと見つけた初期の「乳白色」の方が好きです。しかし、「乳白色」と「日本画のような細い線描」だけでは、特定の人の個性を表わしにくいのでは・・・というのが、正直な感想です。私が見たユキの写真とはあまり似ていないように思います。
藤田の傑作と言われる『寝室の裸婦キキ』(1922)のように、特定の人でも、周りに黒を使ったり、壁やカーテンに藤田お得意の装飾柄を入れることによっては、乳白色が生きてくるとも思いました。
今回鑑賞した作品などがあまり続くと、面白みに欠けるように感じてしまいます。

そして、改めて藤田展を振り返ると、「乳白色」よりも、中南米や沖縄を描いた作品の方が、より生き生きと感じられます。薄塗りではあるけれど、さまざまな色彩や生活感を取り入れ、好作品が多いのです。
もちろん、「乳白色」や「油彩でありながら、細やかな線描」を描いたからこそ、パリ画壇で認められたのでしょうが、実はその後に、藤田の別の傑作があるように思えてきました。(少し、矛盾しているかもしれません。。。)

この後、画像はありませんが、『猫』(1950)を鑑賞しました。こちらは墨と紙で描かれているため、日本画のコーナーにあります。 母猫と2匹の子猫がこちらをジロっと観ています。鑑賞者たちに「私たちはそんらそこらの猫とは違います。高貴な猫様です」と言っている、そんな気高さが感じられ、なかなかおもしろい、好作品でした。


(つぶやき)
藤田の作品の他にもいい作品がかなりありました。でも、あまりにも監視員が厳しいというか、職務に忠実というか・・・。私はシャーペンを使っていたのですが、「それはペンですか?」と3回も尋ねられました(シャーペンと鉛筆は使用可)。それも書いている時ではなく、持っているだけで。それも同じ監視員に2度も。それだったら、BUNKAMURAのように、鉛筆を置いてほしいと思います(しっかり、投書してきました)。
その他、絵の前に線が引かれていないことはいいことですが、近づきすぎると注意を受けます。何だか、落ち着いて鑑賞できない・・・。そんな美術館でもありました。
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-07 09:34 | Trackback | Comments(0)

ゴッホの描いた刑務所

f0104004_21225699.jpg
囚人たちの重たい足音が聞こえてきそうだ。そして、こちらをジロリとにらむ金髪の囚人にドキリとする。本当に険しい表情だ。恨んでいる相手を思い出したのかもしれない。それとも私たち鑑賞者に、「ジロジロ見るな」とでも言いたいのだろうか・・・。
ゴッホの描いた『刑務所の中庭』(1890)である。
刑務所というと、「犯罪者を隔離する恐ろしい場所」というイメージだ。
1度だけ、府中刑務所の前を通ったことがあるが、コンクリートの高い塀で覆われ、それだけで、別世界の恐怖を感じてしまう。
映画やドラマでも、たまに刑務所が出てくることがある。何だか囚人同士の中にも、上下関係や強度のいじめがあり、罪を償う場所ではなさそうだ。
彼らは、運動不足や規律のために、この絵のように、中庭で運動をさせられるのだろう。
直線ではなく、終わりがいつだかわからない短い円を何周も回る。監視人が「終わり」と言うまで。
監視人は3人。しかし3人とも心ここにあらずという感じである。2人は何かを話しこんでおり、もう1人は囚人を見るどころか、下を向いて、居眠りでもしているのだろうか・・・。
同じ囚人服を着ていても、体格や姿勢はさまざまだ。
年をとってからの入所なのか、それとも長い期間入所しているのか、すでに腰が曲がっている人もいる。また、ポケットに手を入れている人など、囚人の異なる表情を、ゴッホはとてもよく表している。
もしかしたら、いじめや過酷な労働から一瞬だけでも離れ、誰からも話しかけられることなく、黙々と歩いていることで、ホッとしれいるのかもしない。
そして、不思議なことに、彼らには生きることへの執着も感じる。特に真ん中の囚人に。
左上に小さく見えるのは、2匹の白い蝶だ。この蝶の存在がこの絵の救いでもある。囚人たちに、しっかり罪を償うよう、希望を持つよう、話しかけているように思えてしまう。
f0104004_21233333.jpg

解説書には、「真ん中の男性がゴッホだ」とか、「彼の精神状態を代弁した作品」と書かれているものが多い。
ゴーギャンとの不仲により精神のバランスを崩し、自分の耳たぶを切ってしまったゴッホ。その後、自ら精神病院に入院する。この作品もその時に描かれたものである。そう聞くと、素直に納得してしまいそうだ。
しかし私は声を少し大にして否定したい。
まずゴッホは精神が錯乱している時には絵を描いていない。
そして実はこの作品はフランスの挿絵画家ドレの版画作品『ニューゲート監獄-運動場』(1872)の摸写で、この原画にかなり忠実に描かれている。
確かに刑務所は精神病院と同じく、閉鎖的な場所だ。しかし精神病院で多くの患者を見ていても、牧師の家庭に育った彼は、「病人」と「罪人」を全く異なる世界と考えていたのではないだろうか・・・。だから、病気の自分と囚人を重ねて描いたと、私には思えないのである。
さらに、暗く重々しい刑務所のレンガや石畳に「青」や「緑」を用い、蝶が飛んでいるあたりの色合いは、光り輝いている。
ゴッホはドレの表現力に感銘し、「自分だったら、こんな表情をつけ加えたい。あんな色で表現したい」と、そんな単純かつ冷静な理由で、この作品を描いたのではないだろうか。


☆ファン・ゴッホ 『刑務所の中庭』 油彩 1890年 プーシキン美術館
☆ギュスターヴ・ドレ 『ニューゲート監獄-運動場』 栃木県立美術館
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-01 21:18 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

感動の絵を再び

f0104004_20585231.jpg
















どうしても、この絵をもう一度観たかった。
数年前、東京で開かれた「メトロポリタン美術館展」で観た、ピカソの「盲人の食事」(1903)だ。
そして、この絵をニューヨークのメトロポリタン美術館で、再び観ることができた。
ピカソは誰もが20世紀を代表する芸術家だと言うだろう。しかし、彼のキュビスム以降の作品ばかり観ていたころの私は、他の惑星からきた作品のようで、理解しにくかった。
その後、人間の悲しみや、ありのままの姿をリアルに描いた「青の時代」を知り、彼の作品に急に惹きつけられていく。
「青の時代」とは、1901―1904年までをいい、親友の自殺がきっかけで、悲しみ、苦しみを表す色として、青系統の色を選んだようである。
「青」という色は不思議な色だと、時々思うことがある。人は、しばしば「今日はブルーなの」と言う。「憂鬱」や「不調」の意味を表す色である。一方、「青い空」「青い海」のように、さわやかな希望の色でもある。
ピカソの「青の時代」はもちろん、前者の「青」である。
当時、彼は不安な生活を送る貧しい人々、体の不自由な人や老人たちを、作品として多くとりあげた。
私は、どことなく切なくて、寂しくて、画家の気持ちがこめられた「青の時代」に強くひかれる。
「盲人の食事」は美術館一階の「近代美術のコーナー」にある。
1903年、22歳にバルセロナで描かれたものだ。
作品の目の前に行くと、数年ぶりに観ることのできた喜びと内容の深さに感心してしまい、再び佇んでしまった。
ある人は、この作品の盲人がかわいそうで、絵の前に長くいられなかったと言っていたが、それほどリアル感がある。
私の場合は、いたたまれない気持ちを抱きながらも、繊細な描写に圧倒されて、見入ってしまった。こんなに心の底から湧き出る感動は滅多にない。
絵の背景と人物の洋服は濃い緑に近い青で描かれている。「青の時代」の他の作品より暗い青で描かれているのは、この人物の悲しみや苦しみが大きいからであろうか。
人物の眼と手の描き方に特に注目したい。眼は少し奥まらせ、ぼやかしている。この人物の眼が不自由であることを、絵はすぐ、わからせてくれる。
そして、より一段と近づくと、見えない眼で一生懸命、物を見よう、探ろうとしている、この人物の気持ちが強く伝わってくる。
口元や首筋には力が入っていることが明らかにわかり、静かな場所で、食事をするぐらいの小さな動作でも、精神を集中させて、物を探っている様子がうかがえる。
そして手の表情だが、この人物にとって、手は「眼」でもあるのだ。水差しをまさぐる右手。見えなくても、視線は右手の指先にある。そして、すでに食べ物を得た安堵の左手。手は長く、鋭敏に見える。
ピカソは「手の表情」をうまくとらえた画家の一人だと、私はいつも思う。特にこの触感で生活している人物の手の描写は、一段とよく描かれている。
何てすばらしい作品だろう。この人物の悲しみや苦しみ、そして計り知れない努力。ピカソの思いに秘められた細かい描写。そして、私の心の叫び。いろいろなことが交差して、感動でいっぱいになってしまった。 
東京に帰ると、また、ストレスのある生活が続く。そんな時、少し眼を閉じて、感動の絵を再び思い出して。

☆パブロ・ピカソ「盲人の食事」1903年 油彩 メトロポリタン美術館 
[PR]
# by van__gogh | 2006-04-30 20:57 | ピカソ | Trackback | Comments(0)

フジタは私が育てた

f0104004_2129183.jpg

頬杖をつき、ずいぶん自信のありそうな女性だ。そして、その横で少し彼女に寄りかかり、何か言いたいけれど言わずにいるような男性。藤田嗣治が描いた『室内・妻と私』である。
妻の名は、フェルナンド・バレー。この作品は1923年に描かれ、すでにパリの画壇で認められていた彼でも、気の強い妻の横ではこんな表情なのだから、少し笑ってしまう。
この作品で私が注目してしまうのが、二人と同じくらいの存在感のある身の回りの小物である。
藤田ほど小物を丁寧に、そして大切に描いた画家はいないのでは…と思う。
まず、2つのカップを観てみよう。
きっと、水玉のコーヒーカップはフェルナンドのものではないだろうか。あたりまえの水玉模様をこんなにやさしく、かわいらしく描いてしまう藤田の力量に感心してしまう。
一方、中国風の柄が描かれているカップは藤田のものに違いない。
壁に掛かっているカギもおもしろい。無くさないようにするためだろうか・・・。そして壁掛けと絵皿の色が白なのに、壁紙の白と見事に調和している。彼はこのような小さいものにも生命を与え、愛情や労りまで絵の中に込めてしまうのだ。
フェルナンドとは結局7年間の結婚生活であった。この作品を描いた翌年には別れてしまう。彼女が浮気をしたことが原因だが、藤田自身もすでにフェルナンドへの愛情はなかったようだ。
2人が再び出会うのは約30年後。藤田が戦争画の戦争責任を一人で追わされ、パリに再び戻ってきた時だ。
第2次世界大戦が終わり、もちろんエコール・ド・パリの時代も終っていた。
藤田に対して「かつて一時代の中心だったが今はひとつの大通りでしかないモンパルナスに一人の亡霊がやってきた」と手厳しい言葉を書く雑誌もあった。
しかしピカソをはじめ、彼を歓迎するものも数多くいた。フェルナンドもその一人と言っていいだろう。彼女は非常に貧しく、みすぼらしくなってしまっていた。そして時々藤田のアトリエに現れては金銭や物をもらい、挙句の果て、小さいアパートまで借りてもらったという。
そんな元夫人に対する人の良さに、君代夫人は非常に不愉快だったという。
それでも藤田は彼女を助け続けた。
一方、フェルナンドは藤田に対する感謝よりも、「フジタは私が育てた」と言っていたという。
確かに彼女だったらそう言いそうだ。そんな雰囲気が30年前の肖像画からも窺えるからだ。
[PR]
# by van__gogh | 2006-04-29 23:23 | Trackback | Comments(0)

TSUBUYAKI美術班 藤田嗣治特別メニューを食す

f0104004_20381143.jpg本日はTSUBUYAKI美術班の活動日。「藤田嗣治展」に行ってきました。会場はかなり混んでいましたが、ゴッホ展の殺気ばったような雰囲気(私自身が高ぶっていたこともありますが・・・)がなく、混んでいても、ちゃんと一つ一つの作品を鑑賞できました。
彼の代名詞とも言われる「乳白色」と「猫」。その中でも、『タピスリーの裸婦』が最高傑作だと私は思っています。裸婦だけではなく、この背景のタピスリーの色とシーツの皺と陰が何ともいえません。。。もうすばらしい!の一言です。藤田の「乳白色」を始めて観た時、「日本画?でも違う・・・確かに油絵だ・・・」と絵に顔を思いっきり近づけたことを覚えています(今でもですが)。
こんなただの鑑賞者だけでなく、あのピカソが彼の絵の前に3時間いたということを読んだことがあります。それ程、誰もが決して出せない、魅力・謎の色です。
そして、もう一つ印象的だったことは、戦争画の部屋で、後ろにいた女性(戦争体験者だと思います)が、「お~っ」「お~っ」と言っている声が聞こえたことです。本当に正直な声だと思いました。それ程、切迫感・臨場感があります。だからこそ、彼は戦後の「戦争責任」を一人で背負うことにもなってしまったのです・・・。

鑑賞後、クイーン・アリス・アクアで、「藤田嗣治展特別メニュー」をオーダーしました。
わ~い!

<メニュー>
f0104004_20383328.jpg



<前菜 七面鳥とフォア・グラのファンタン>
f0104004_2039647.jpg

栗をおそそうして、落としてしまいましたが、班長が半分くださいました。やさしい~。ありがとうございます!

<オマール海老のグラタン>
f0104004_20401434.jpg

味噌テーストで、海老のプリプリ感もいい感じです。このお料理が一番おいしかったです。

<オリーブ牛のプロヴァンス風>
f0104004_20412582.jpg



<デザート ポワール・ベル・エレーヌ>
f0104004_20453910.jpg

シャーベットが隠れていました。これもフレンチ・スウィーツのなせる技ですね。

パリ帰りの友人が「パリ自慢」の写真やファイルを見せてくださり、藤田嗣治特別メニューをいただきながら、パリの話に盛り上がりました。班長ともう一人の友人も去年パリに行っていて、私だけだ、行っていないのは~。美術班員としてはまだまだ半人前。

f0104004_2171763.jpgクロワッサンやフランスパンが日本とは比べられないほど、おいしいそうです。さらに、ニューヨークの超有名ベーカリーより、はるかにおいしいとのこと。
藤田の作品にも2点、フランスパンを描いた作品がありました。左の作品は藤田が76歳の時描いた『朝の買物』です。フランスではこのように、フランスパンをそのまま持ち歩くようです。サンドウィッチというと、切っていないバケットがそのまま出てくるとか。私もフランスに行って、ぜひ本場のパンを味わってみたいです。もう心の中は藤田の作品とParisでいっぱいです!
[PR]
# by van__gogh | 2006-04-09 22:47 | 美術班活動 | Trackback(1) | Comments(0)

エドワード・ホッパー『ナイトホークス』


f0104004_22483260.jpg
とても静かなニューヨークの夜。
周りのビルの電気が消え、このダイナーだけが目立つ。暗闇とぶつかり合った光が一層、この店を浮かび上がらせている。見事な光の効果である。
ニューヨークで活躍したエドワード・ホッパー(1882‐1967)の描いた「ナイトホークス(夜更かしする人々)」(1942)だ。
1942年といえば、第2次世界大戦の真っただ中。この絵からもアメリカは軍事関係だけでなく、生活面、文化面でも、はるかに日本より優れていたことがわかる。日本が戦う相手ではなかったような気持ちにさえなる。
彼が描いた都会のアメリカ人の心とはどのようなものだったのだろうか。
「ナイトホークス」のモデルはカフェの店員と男女のカップルと後ろ姿の男性の
4人。彼らには冷たさと異なる「個」というものを感じてしまう。
ホッパーの絵の多くが、人物にあまり感情を入れず、光で表情をつける。そのため、1人1人の存在は孤立感がある。鑑賞者が表情を付け加えてもいいだろう。2人の男女はホッパーの作品には珍しく、会話をしているようだ。しかし、心の中に強い「自己」というものを持ちながら、相手に対して言葉を選んでいるようにも見える。
店員は客の様子を伺いながらも、少し疲れた感じである。そして、後ろ姿の男性は1人で何をしているのだろうか。背広に帽子姿。頭を少しさげ、テーブルに両肘をついている。おそらく、勤め帰りなのだろう。仕事や家庭の悩みに思いふけっているのだろうか。それとも昔の出来事を思い出しているのだろうか。
アルコールではなく、コーヒーというのもいい。
多くの人が「ナイトホークス」に惹かれる理由の1つに、この後ろ姿の男性と自分を重ねられるところではないだろうか。
アメリカは「自由と平等の国」と言われながらも、その裏では、厳しい競争と自己責任が問われる社会である。
精神面で、カウンセリングに通う人も多い。自分の正当性を主張するために、弁護士を立てることも日本とは比較にならない。誰もが自分を守ることに必死なのだ。その結果、自分が1人になってしまう時もあれば、自ら1人になりたいと思うこともある。都会であれば、なおさらだ。
彼の作品は「悲観」を表すものではない。都会で生活していれば、誰もが多かれ少なかれ感じる「孤独の一瞬」をわかりやすく描いている。だから多くの人が、彼の作品に共感するのだ。
そして、ホッパーの絵には、必ず都会の人々に対する優しいまなざしもある。
彼自身、「静かな男」と言われ、自分の生活や作品に対して、多くを語らなかったという。これは彼の後ろ姿でもあるのではないか。
ホッパーの作品の中でも人気のある「ナイトホークス」はアメリカ3大美術館の1つ、シカゴ美術館にある。なぜか、この美術館には彼の作品がこの一作のみ。それも、展示室の片隅にひっそりとある。少し意外でもあった。しかし、絵の前にたどり着いた時、この場所が、いかにもホッパーらしく私には思えたのだ。
[PR]
# by van__gogh | 2006-04-04 10:20 | アメリカ人画家 | Trackback | Comments(0)

画家と戦争・・・靉光の場合

b0059464_20165894.jpg少し顎をあげ、目はどこか遠くを観ているようだ。何だか強い決心がうかがえる。
靉光(1907―46)の描いた「自画像」(1944)である。
今まで数多くの自画像や肖像画を鑑賞してきた。しかし、これほど存在感のある、心に残る作品は思い出せない。
目と同時に印象的なのが、キャンバスの半分以上もあるシャツの大きさだろう。色は白とも黄色とも言い切れない不思議な色だ。
自画像とは画家の心の内を表現する場でもある。この作品には、当時の画家自身の思いを一身に背負った絵に思えてならない。 
なぜ彼はこのような肖像画を描いたのだろうか・・・。
靉光は1907年に広島県山縣郡壬生町で生まれ、本名は石村日郎。六歳で広島市内に住む伯父の家に養子に出され、高等小学校を卒業すると、画家になりたいと養父母に言うが、許してもらえなかった。そのため、とりあえず広島市内の印刷所で図案職人として働く。
16歳になると、大阪のデザイン会社に就職し、翌年の1924年、家族には内緒で上京する。そして太平洋画会研究所に入り、本格的に画業の道に入るのである。
このような強引さを知って、彼の「自画像」を再び観ると、なるほどと思ってしまう。自己主張の強い彼は、絵画の分野でも、前衛的なグループに所属し、「眼のある風景」(1938)のようなシュルレアリスム風の作品を描いていく。
f0104004_15542795.jpg
ちょうど同じ時期、我が国では「国家総動員法」が発効され、軍部が戦争協力として、「画家に戦争画を描かせる方針」を打ち出す。
物資の少ない混乱期に、画材などが入手しやすく、国家への忠誠を果たすことにもなる。そのため、多くの画家が「戦争画」を描き始め、「聖戦美術展」などで公開された戦争画は、五千点に及ぶと言う。
今日ではテレビやインターネットなどで、瞬時に世界情勢を知ることができる。しかし当時は、戦争画が日本国の情報源の一つになっていたのだ。
それでも、画家の姿勢はさまざまであった。
藤田嗣治のように、率先して戦地へと向かい、多くの戦争画を描き、名声をあげる画家もいた。戦後、彼のみに戦争責任をなすりつける結末になるが、それほど、彼の野望や作品の完成度は高い。
一方、藤島武二のように、「慣れない仕事で成果は期待できないが、終生の傑作を産む算段で努力します」と言った画家もいた。
また、靉光の仲間の福沢一郎は、治安維持法違反の嫌疑により逮捕され、終戦まで戦争画制作に従事させられる。
靉光はこの自画像に見られるように、強い自我を持った人であった。「わしにゃあ戦争画は描けん」と言って、本当に自分が描きたいものだけを描いていく。
そして1944年に、画家ではなく、兵士として戦場に向かう。
その5ヶ月前に描いた作品がこの「自画像」だ。
彼は中国・武昌で敗戦を迎えたものの、1946年、上海の病院で死亡してしまう。
彼の出身地である広島は原爆が投下され、彼の貴重な多くの作品は原爆で灰となってしまった。
残された数少ない作品の中の「自画像」は、彼の置き手紙のように思えてしまう。
背景の黒は、彼を襲う戦争の激動期と想像してみたい。
何があっても、決して揺るがない彼の制作熱と信念を、私はこの作品から感じてしまうのだ。
[PR]
# by van__gogh | 2006-04-01 23:18 | 日本人画家 | Trackback | Comments(0)

ゴッホの作品のある美術館・・・①ポーラ美術館

f0104004_2102098.jpg
ポーラ美術館にはゴッホの作品(油彩)が3作あります。私の知っている限りでは日本において最大ではないでしょうか(日本はゴッホファンが多いのですから、もっと、もっとあってもよいと思うのですが・・・)。
この美術館は神奈川県箱根にあり、なかなか行くことができません。しかし、運がいいことに、3作ともそれぞれ2回、他の美術館の特別展で鑑賞することができました。

「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」f0104004_20523076.jpg
1888年2月、ゴッホはパリから温かい南仏アルルにやって来る。というのも、冬のパリは寒く、精神的にも疲れ果て、ロートレックのすすめもあって、この南の地を選んだのだ。
しかしゴッホの期待とは裏腹に、アルルは想像以上に寒く、戸外で絵を描くことが難しかった。知っている人もいなく、孤独なゴッホ。
3月になると、少しずつ温かくなり、戸外での制作も可能となってきた。そのころ描いた作品が、ゴッホの名作の一つと言われる「アルルの跳ね橋」(クレラーミュラー美術館)である。その作品の習作がこの「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」だ。 f0104004_20494061.jpg
だから、「アルルの跳ね橋」が繊細で、洗練されている半面、この作品はタッチが縦、横、斜めと重ねられ、キャンパス上で模索をしているようにもみえる。
また女性たちにオレンジの縁取りをしたり、水面にもオレンジや白を用い、新しい色彩への試みも感じる。
2つの作品のどちらがいいと聞かれれば、どちらもそれぞれいい。
しかし、ゴッホの描くことのできる喜びでは、「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」の方が強く表われているのではないだろうか。
筆使いに強い勢いを感じるからだ。習作のため気負いもない。やっと、戸外で描ける喜び。 パリでは都会的な雰囲気の中で、絵の題材もそういうものが多かった。
だから、この素朴な橋や運河を見て、ゴッホはオランダを懐かしく思ったに違いない。そしてオランダ時代に描いた農民たちの姿と洗濯する女性たちを重ね合わせたのかもしれない。まだ冷たい水で一生懸命洗濯する彼女たちに愛情を感じながら…。
ゴッホは弟のテオ宛ての手紙に、描いた「アルルの跳ね橋」について語った後、「グレーズ橋」について、「もう一枚は鄙びた小橋と同じように洗濯女のいる風景」と書いている。
鮮やかな跳ね橋に比べれば、この橋は確かに鄙びている。そして馬車に乗った躍動的な人と鄙びた橋を静かに渡る女性との比較。さらには集団で洗濯をしている女性たちとぽつん、ぽつんと離れて洗濯をしている女性たちとの対比も興味深い。
しかしこの「グレーズ橋」には不思議と寂しさを感じない。なぜならば、これからもっと温かくなって、アルルでどんどん新しい色彩に挑戦していこうという、ゴッホの強い希望が、生き生きと感じられるからだ。

『草むら』
f0104004_21111526.jpgこの絵を観ると、ゴッホが一段と愛しくなる。
花があるわけでもなく、空もない。ただただ一面に緑の草。何の草かもわからない。タイトルの通り、ただの草むらを描いただけなのに、何だか惹かれてしまう。
1888年2月、ゴッホは寒いパリから離れ、南仏のアルルに行く。そして、画家としての絶頂期を迎える。
しかし翌年4月に描かれた『草むら』はどうだろう…。この数ヶ月間はゴッホにとって、最も辛かった時期だったに違いない。
12月にはゴーギャンとの対立から自分の耳を傷つける。ゴーギャンの耳では犯罪になるが、自分の耳では法的に犯罪ではない。ゴッホファンの私としては、ゴーギャンの耳ではなくてよかった…と素直に安堵してしまう。しかしその後が悪い。どういう理由かわからないが、その「耳たぶ」を知り合いに渡してしまったからだ。
そんなことがアルルの住民に広まり、通称「黄色い家」に再び住み始めたゴッホに対して、市長に抗議をする。そのため彼は再度、病院に入院することになってしまう。
そしてしばらく絵を描くこともできず、その時の苦しさを弟のテオに手紙で語っている。
3月になって、やっと病院の庭などが描けるようになり、その時に描いた作品の一つが、この『草むら』だ。生い茂る葉の一枚一枚を丁寧に描き、絵に迷いがない。
冬には苦しいことばかりだったけれど、もう草が生える春だ。
この絵を描きながら、自分には「絵がある」「絵しかない」ということを改めて思ったのではないだろうか。

『アザミの花』f0104004_21171797.jpg
この「アザミの花」は何とやさしい色合いだろうか・・・。
とらさんが背景を「白緑色」だとおっしゃっていたが、本当にそう思う。
アザミの鋸歯状の葉や麦の穂などちょっと個性的な形を白と緑の背景がやさしく包み込み、さらに丸みのある花瓶にも柔らかさを感じる。
この絵は1890年6月16日又は17日にゴッホの終焉の地、オーヴェール・シュル・オワーズで描かれた。彼の主治医であるガシェの家にあったアザミの花をモチーフにしたという。
この地の作品としては「オーヴェールの教会」や「カラスのいる小麦畑」のようにゴッホの精神の破壊ばかりが強調されがちである。しかし画集をみると、そんなことは決してない。
その中の一つがこの「アザミの花」だ。
このやさしく清らかな背景がゴッホの傷ついた心を包み込んでいるように、私には思えてしまうのである。
[PR]
# by van__gogh | 2006-04-01 20:50 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

ファン・ゴッホ 『じゃがいもを食べる人々』

f0104004_1885335.jpg
私はファン・ゴッホの絵がたまらなく好きだ。
日常何気ない時に観ることも好きだが、苦しい時や悲しい時に観ると、とても心が落ち着く。
ファン・ゴッホというと、アルル時代の「ひまわり」のような華やかでキラキラした色彩の絵や、後期の「糸杉」や「星月夜」のような荒々しく、一段と独特のゆがんだ物の見方をした絵が、特に有名である。
私は、これらの絵ももちろん大好きだ。特に自分の力が湧かない時に強い筆使いを見ると、力をもらったように感じる。そのおかげで何度がんばれたか、数え切れない。
そうした中で、一番好きな作品は、初期に描かれた『じゃがいもを食べる人々』を迷わず選ぶ。
ファン・ゴッホは、短気で思い込みの激しいところがあった半面、かわいそうなくらい純粋でやさしく、正義感が強すぎて傷つきやすく、ストレートに感情を表してしまう。
この絵もそんな彼の純粋さと社会派的なところが感じられる作品で、最大の特長は、主人公が貧しい農民であることだ。
この作品には5人の農民が描かれているが、少し人間離れし、やせすぎた顔をしている。また、少し不思議でもあり、おもしろいなと思うところは、この5人が視線を合わせておらず、会話が成り立っているのか成り立っていないのかもわからないこと。しかし、彼らの顔や手からは、厳しい労働に耐え、一生懸命に生きている人々の内面的な強さがうかがえる。
ファン・ゴッホはミレーの農民の絵に感銘したそうだが、ミレーの「晩鐘」や「落穂ひろい」のようにのどかで牧歌的な作品ではなく、もっと人間の生活を感じる。しかし、この時期のファン・ゴッホの農民をはじめ労働者の表情は、みじめさやあわれな雰囲気ではなく、威厳ともいえるくらい、強い信念をうかがえるところが、私は最も好きだ。
「顔の表情」からその人の性格や状況がわかるとよく言われるが、私は「顔」と同様に「手」も、その人の心の状態や生活感を表す重要な部分だと思う。「顔」でうまくごまかしても「手」が反応してしまうことがある。
「手の表情」は人間の心理を顔以上に表す場合があるので、私は絵画や映画を観る時、どうしても手の表情にも目がいってしまう。
ファン・ゴッホはこの手の表情を非常によくとらえた画家だと思う。特にこの「じゃがいもを食べる人々」にそれが表されている。
ファン・ゴッホはこの絵の手の部分に関して「彼らが土を掘るその手で食べているように、空気のように自然に描こうと努力した」と書いている。
家は小屋と言った方がふさわしく、食卓の上にランプの光がある以外は暗い色を用いている。ファン・ゴッホはこの色を「泥だらけの皮をはがないじゃがいものような色だ」と書いているが、なるほどと思った。暗い色彩。しかし、貧しさの中でも農民の表情から、秘めた強さを感じる。そこが、たまらなくいい。
この絵はオランダの「ファン・ゴッホ美術館」にある。この絵の色彩が本によって微妙に違う。
いつか、ファン・ゴッホの故郷のオランダで、実物の『じゃがいもを食べる人々』を鑑賞できることを夢見て!

☆『じゃがいもを食べる人々』 The Potato Eaters
1885年4月 ニューネン 油彩 ファン・ゴッホ美術館
[PR]
# by van__gogh | 2006-04-01 19:59 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)