ポーラ美術館

今年初めにBUNKAMURAで開催された「ポーラ美術館展」で、好作品が多くあり、感激してしまった。箱根まで行く価値は大有りだと思い、はるばるポーラ美術館まで行ってきた。

お隣の神奈川県といえども、箱根は遠い。小田急線で、箱根湯本駅に行き、そこから、箱根登山鉄道に乗り換えて強羅駅。そしてタクシーで10分位のところにポーラ美術館はある。
緑いっぱいの大自然の中にスタイリッシュな建物。すばらしい~。
こにはゴッホの作品が3作(今回は2作)あり、再々会となった。

今回初めて鑑賞した作品で1番惹かれたのは、パスキンの『果物をもつ少女』(1927)だ。
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パスキンと言えば、「退廃」「不安」「孤独」を表した作品を多く描いているが、この作品のように、少女がモデルであっても同様だ。椅子や背景を曖昧にし、彼女の不安を体だけではなく、絵全体で表現している。
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# by van__gogh | 2006-08-15 23:05 | Trackback | Comments(0)

ゴッホ 『夕暮れの風景』

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とらさんのブログにすばらしい夕焼けの写真があった。とらさん、そしてリセさんは、ルーブル美術館にあるテオドール・ルソーの『森の落日』を思い出したと言う。
ゴッホもルソーの風景画に魅せられた一人であった。まだ画商時代から、ルソーの絵に親しみ、初期時代は模写なども行っていたようだ。そしてパリ時代はルーブルで、『森の落日』を観たかもしれない。
彼の『夕暮れの風景』(1890)はゴッホ終焉の地、オーヴェールで描かれた。緑豊かな7月。黄色とオレンジの夕焼けは、美しい輝きと、いつかは終わってしまう「はかなさ」の両方を表し、何ともいえない幻想的な絵である。

☆ファン・ゴッホ 『オーヴェールの城館』 (Le Chateau d' Auvers) 1890年 油彩 ゴッホ美術館
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# by van__gogh | 2006-08-13 14:04 | ファン・ゴッホ | Trackback(1) | Comments(0)

損保ジャパン美術館 ゴッホ『ひまわり』

夏の風物詩といえば、ひまわり。ひまわりと言えば、私の場合、もちろんゴッホだ。
今回、特別ゴッホが大好き!!というお2人と、損保ジャパン美術館にあるゴッホの『ひまわり』を鑑賞してきた。「プーシキンのぶどう畑の絵は〜」とか、「Metのミレーの模写は〜」で話が通じてしまうからすごい!すごい!

ゴッホが描いたひまわりは合計12点(13点という方もいた)。花の部分だけを描いたものが4点、家と一緒に描いたものが1点、そして私たちが見慣れている花瓶に活けたものが7点である。私たちが見慣れている花瓶に活けたものは、アルル時代に描かれたものである。
その7点のうち、最初の4点(1点は焼失・・・5輪)は実物を見ながら、残りの3点はその模写である。

1作目又は2作目・・・3輪のひまわり 個人蔵(サインなし)
3作目・・・ ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク美術館の『ひまわり』(サインあり)
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背景が青緑で、ひまわりが12本。私はゴッホの『ひまわり』の中で、この作品が1番好き! 黄色の背景のものよりも、ひまわりに生命感や自由奔放さがある!

4作目・・・ ロンドンのナショナルギャラリーの『ひまわり』(サインあり)
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 背景が黄色で、ひまわりが14本。
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5作目・・・損保ジャパン美術館の『ひまわり』(サインなし)
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4作目を観ながら描いたレプリカである。
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6作目・・・ゴッホ美術館にある『ひまわり』(サインあり) 同じく4作目のレプリカである。
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7作目・・・フィラデルフィア美術館の『ひまわり』(サインあり) 3作目のレプリカである。
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アルルでひまわりを多く描いた本当の理由は明らかではないが、もともとひまわりには「神の愛」、「信仰心」・・・などの意味があったこと、そしてアルルに来るように、待ち焦がれていたゴーギャンが、ゴッホの『ひまわり』の絵を気に入っていたことなどがあげられる。さらに、ひまわりは観賞用だけでなく、食用ともなるから、農民画家でもあったゴッホには、実り豊かな花としての賛美とも想像できる。

この損保ジャパン美術館の『ひまわり』を描いたのは1888年11月−12月となっており、ゴーギャンとの諍いがますます悪化している時だ。
ゴーギャンはゴッホが描いたひまわりを評価していたというが、どのような気持ちでこの模写の『ひまわり』を描いたのだろうか・・・。

ゴッホは自信があり、売れると思っていた絵にはVincentとサインをしたそうだが、この作品にはサインがない。自信がなかったのだろうか・・・。しかし、何とこの作品は54億円で、損保ジャパン(当時の安田火災)によって購入された。大きさは7作の中で、一番大きい。だから値段も??
額縁も購入価格にふさわしい立派だが、もう少し清楚な額縁の方が私は好み。。。

画集などで、損保ジャパンのひまわりの数が14本と紹介れているもの(例えば、昨年の「ゴッホ展」の図録)があり、とても気になっていた。何回数えても私には15本になる。ところが、損保ジャパンのHPを見ると、15本と書かれていた。なんだ・・・よかった〜〜。

ちなみにゴーギャンが想像で描いたひまわり(1888年秋)は『ひまわりを描くゴッホ』の中に描かれている。
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それから、ドガの絵からヒントを得たゴーギャンの『ひまわり』もなかなかユニーク。
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# by van__gogh | 2006-08-13 10:50 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

ファン・ゴッホ 『ドービニーの庭』

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絵から溢れ出しそうな緑と花の競演だ。それでいて、安らぎがある。まるでダイナミックな花籠のようだ。絵の中央奥には立派な家、右側には教会が見える。ファン・ゴッホが終焉の地、オーヴェールで描いた『ドービニーの庭』(1890)である。
ドービニーとは、ミレーと同じくゴッホが尊敬していた農村の風景を描いた画家だ。すでに彼は亡くなっていたが、ドービニー夫人がこの地にまだ住んでいた。絵をよく観てみると、家の前の小道には女性が歩いている。この人こそ、ドービニー夫人だ。

この作品はファン・ゴッホがピストル自殺をはかる数週間前に描かれたものである。しかし絵には迷いがなく、愛情に満ち溢れている。誰が彼の自殺など想像できようか・・・。ファン・ゴッホはこの絵を思いつきで描いたのではない。弟のテオに、「僕はドービニーの家と庭をこれよりも力の入った絵にしようと計画している」と語っている。ドービニーへの敬愛と、この庭への親しみを絵に託したかったのだろう。
そのため、この作品を含めて、3点の『ドービニーの庭』を描いている。一点はファン・ゴッホ美術館所蔵の庭の一部を描いた習作、もう一点は大きさはほぼ同じで、スイスのバーゼル市立美術館にある。実物を見ながら描いたのはバーゼル市立美術館のもので、こちらの作品はアトリエでの模写したものだそうだ。

しかしテオは、ファン・ゴッホの死後、模写であるこの作品をドービニー夫人に贈っている。きっとこちらの方がドービニー夫人にファン・ゴッホの気持が通じると思ったのだろう。アトリエで丁寧に描かれたものを・・・。
彼女はテオに「ご不幸なお兄様が私に贈ることを望まれたというこの絵を描かれているのを拝見しておりました時には、私がこの絵の持ち主になるとは考えてもいませんでした。お礼を申し上げますとともに、心からお悔やみ申し上げます」と感謝の言葉を寄せている。

現在、この作品はひろしま美術館が所蔵している。広島は1945年8月6日、世界初の原爆が投下され、爆心地から2キロメートル以内の場所では、燃えるのもは全て燃え、焼き野原と化した。14万人の命が奪われ、今も多くの人々が被爆者として苦しんでいる。「これから50年は草木が生えないかもしれない・・・」とも言われ、誰もがそう思わざるおえなかった。
しかし、自然とは冷たい一方で、計り知れない生命力がある。草木は人間の予想とは逆で、わずかに生き残っていたのだ。そして、新たな草木もどんどん生まれていった。
生き生きとした緑豊かなドービニーの庭の絵が、この広島の地にあることに心からうれしく思う。この絵の前に立つと本当に幸せな気持ちになる。ゴッホは浮世絵に惹かれ、日本に特別の憧れを持っていた。私にはこの絵が、ファン・ゴッホから広島への贈り物に感じてしまうのである。
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# by van__gogh | 2006-08-13 10:49 | ファン・ゴッホ | Trackback(1) | Comments(2)

画家と戦争・・・太田章の場合


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清らかで、瑞々しい浴衣姿の少女だ。これからお祭りにでも行くのであろうか…。そんなことは決してない。
なぜならば、昭和18年(1943)、画学生・太田章(1921‐1944)が太平洋戦争のために入営する数日前に、妹の和子を描いた絵だからである。
太田の父は一流の友禅染めの職人で、父の才能を受け継ぎ、彼は優秀な日本画科の学生であった。
しかし、昭和19年、出征先の満州でわずか23歳で戦死してしまう。 
戦争の絵を描いた画家といえば、まず、丸木位里・俊夫妻や香月泰男があげられるだろう。特に香月は実際にシベリアでの抑留生活を描き、多くの人に感動と戦争の悲惨さを教えてくれた。しかし、それは私たちが想像できない苦難の連続であっても、生きて還れたからこそ、描けたのである。
それもできなく、無念にも死んでいった若い画家や画学生たちの作品を所蔵している場所、それが長野県上田市にある「戦没画学生慰霊美術館 無言館」である。
母が2年前にこの美術館を訪れ、「無言館 戦没画学生祈りの絵」を買ってきてくれた。     
どの作品もまだまだ描きたくてたまらない…という若い生命力が感じられ、作品のすばらしさと同時に、やるせない気持ちでいっぱいになってしまった。
その中に、太田のこの作品も掲載されていた。
白と青の着物と緑の葉とのハーモニーが彼女の初々しさを一層引き立たせ、私は一目で心惹かれてしまったのだ。
そして昨年の3月、母と私は東京ステーションギャラリーで開催された「無言館展」に行くことができた。
いつも行く展覧会とは異なり、鑑賞者が絵とその説明をしっかりと噛みしめていることが、ひしひしと伝わってくる。
死者は無言だ。しかし、残された絵は、私たちに多くのことを語ってくれる。
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この時も太田の作品があり、今度は薄いオレンジ色の半袖のワンピースを着ている「和子の像」が展示されていた。
普段はモンペ姿なのに、素敵な浴衣やワンピースを着させ、妹を最高に美しく着飾ってあげたかったのだろう。
作品の横に説明文が書かれていた。太田は彼女に「もうちょっと、もうちょっと」と声をかけていたそうだ。長時間この姿勢でモデルをつとめるのは大変だったのだ。
彼は少しでも、たとえほんの少しでも自分の思いえがく絵を描きたかったのである。太田には、絵を描くことが最後になるかもしれないという不安と寂しさを、心のどこかに感じていたのだろう。
これらの作品には、絵に対する静かな執着心と妹への愛情で満ちあふれているのだ。そして、日本画特有の細やかな輪郭線が絶妙で、色使いが目と心にとてもやさしい。
先日、NHKの無言館の特集で、和子さんが出演した。
歳を重ねても、太田が描いたとおりの愛らしく誠実で、さらに涙もろい和子さんを拝見でき、私はうれしくなってしまった。
母親が早くに死んでしまったため、和子さんが親戚の家に預けられ、兄は一緒に暮らしていなかったという。
太田は戦地に行くことを和子さんに言わなかったそうだ。つまり、何も知らないでモデルになったという。兄は、愛するかわいい妹に心配をかけたくなかったのだろう。
少し前に、日本を代表する日本画家、鏑木清方や小林古径の作品を観る機会があった。
もし、太田が生きていれば、きっと、彼らに続く日本画家になっていたに違いない。そう私は信じるのだ。

☆太田 章 「和子の像(浴衣)」 水彩・紙  無言館         
☆太田 章 「和子の像(オレンジのワンピース)」 水彩・紙  無言館 
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# by van__gogh | 2006-08-13 10:47 | 日本人画家 | Trackback | Comments(0)

ひろしま美術館 ドガ 『浴槽の女』

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まるでカメラのシャッターを押し間違えたような絵だ。ひろしま美術館で鑑賞した、ドガ(1834-1917)の『浴槽の女』(1891)である。
裸の女性は、海綿を使って盥を磨いていることから、湯を浴びた後にちがいない。官能的でもなく、嫌らしさも全く感じない。ただただありのままの姿だ。生きて働く女性の現実を感じ、驚くほどの力があふれている。このようなポーズで描く画家も彼ぐらいだろう。
肉体からは、ほんわかした温かさが伝わってくる。パステルが余計にそうさせるのだろう。特に、お尻と背中の右側は青みがかっており、この女性の肌の木目こまやかさがうかがえる。背中の中央は光があたり、白く輝いている。
当時の裸婦は、ルノワールに見られるように、肉体を甘くやさしく描くことが主流であった。同じく、ひろしま美術館にある「パリスの審判」も、主題がギリシア神話だが、女性をゆったりと美しく、理想的に見せている。
ドガは裕福な家庭に生まれたが、洗濯女やアイロンをかける女など、労働する女性を多く描いた。中年から晩年にかけては裸婦も多く描いている。しかし、他の画家とは異なり、動いている一瞬をさまざまな角度から大胆に描くのだ。  
ドガ自身、「裸婦は見る者を予想したポーズでいつも描かれているが、私の描いている女性たちは正直で、単純な人々で、自分の動作に夢中で他のことには関心がない」と自分の考えを述べ、当時の画風を批判している。そんな観察眼の鋭い彼の絵が、私は大好きだ。
驚くことに、この作品は、ドガ57歳に描いたもので、かなり視力が弱くなってからの作品である。
ドガの最大の特徴は正確な線描と言われる。青年時代に、尊敬する画家のアングルから「とにかく線をひきなさい」と言われ、それを忠実に守った。この作品からは、目が見えなくなっていることを全く感じさせない。若い時に培った線描の成果と同じ題材を、異なる角度から何回も何回も描いたからだろう。また、見えなくなってきてからの方が、色彩が鮮やかだから不思議だ。
画家にとって目は命である。口や足で描いた絵を何度か見たことがあった。かなりの努力と忍耐を要しただろう。しかし、見えない目で絵を描くというのはどのようなことだろうか・・・。
もともとドガは神経質で、人にも自分にも厳しく、その言動によって、友人も少なかったという。そのような頑固なドガの悲しみと怒り、そして、それでも描きたいという気持ちは計り知れない。
『浴槽の女』をじっと見つめていると、描ける喜びと見えなくても描きたいというドガの強い執念を感じる。好きなことはやはり諦めないし、諦めきれないのだ。
この美術館のある広島は、61年前の今日、世界最初の原爆が投下され、多くの生命が奪われ、街は廃墟となった。絶望、悲しみ、痛み、怒り、貧しさ・・・さまざまな苦悩があった場所である。
盥にしっかりと足を踏みしめた女性の体はたくましい。何もまとわず裸で前かがみになり、海綿で盥こすることだけに懸命だ。その姿に、復興のために必死で働いた広島の人々の思いを私は重ねてしまうのである。
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# by van__gogh | 2006-08-06 08:50 | ドガ | Trackback | Comments(0)

映画 『父と暮せば』

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映画の舞台は、原爆投下から3年後の1948年の広島。登場人物は原爆で自分だけ生き残ってしまった娘・美津江(宮沢りえ)と、原爆で死んでしまった父・竹造(原田芳雄)、そして、東北から広島大学の助手になったばかりで、原爆資料を集めている木下青年(浅野忠信)の、わずか3人のみ。4日間の物語で、台詞はすべて広島弁である。
美津江は自分に思いを寄せてくれて、自分も同じ気持ちの木下と、幸せになりたいと思う。しかしその半面、原爆で生き残った負い目を感じ、自分だけが幸せになってはいけないと、幸せを否定するもう1人の自分がいる。
そこへ父が幽霊となって「恋の応援団長」として、美津江の援助をする。実際、この幽霊は、娘のもう一つの心が語らせ、「1人2役」と著者が言っているが、非常に味のある効果的な作品だ。
私はこの映画を観るまで、戦争で生き残ったものが「生きているのが申し訳ない」などと、深く考えたことがなかった。また、生き残った人の多くは、人前で「負い目」を語りたくなかったかもしれない。しかし、後ろめたさを感じながらも、もう1人の美津江のように、「やはり幸せになりたい」と、生きていれば誰もが思うことだ。
その思い悩む美津江と父との最後の別れの回想シーンは、映画館中が感動であふれ、すすり泣く音でいっぱいだった。
映画のクライマックスは、木下の集めた原爆の残骸が美津江の家に運ばれるが、その中に地蔵があった。地蔵の顔の半分は溶け崩れ、顔のつくりを失っている。
この地蔵を見て美津江は「うちはおとったんを地獄よりひどい火の海に置き去りにして逃げた娘じゃ。そよな人間に幸せになる資格はない」と、どんなことをしても助けきれなかった父への罪悪感に襲われる。
父は爆風で建物の下敷きになり、まだ燃え続けている中で、共倒れになってしまうことがわかった。美津江を逃すために、父がじゃんけんで決めようと言い出したのだ。父はグーばかり出し続け、わざと負けようとする。これは幼いころから娘かわいさに、いつも父がしてきたことだ。
美津江もパーは出せない。しかし父は「パーを出さんのじゃ。親に孝行する思うてはよう逃げいや」と厳しくつきかえす。
私は自分の父もこのような状況になった時、きっと同じことをしてくれただろうと思った。そして、そう思えた自分がうれしくもあった。
2人の別れはお互いが納得し、納得させたものであった。しかし、残された美津江の負い目は、いつも重く残っていた。
最後に父は「おまいはわしによって生かされとる」と語り、このむごい別れを伝える大切さを、愛する娘に教える。ようやく美津江は父の願い、死者の思いを知り、希望を持って生きようとするところで、映画は終わる。
この映画を観てから知ったのだが、黒木監督自身も学徒動員で宮崎の飛行機工場で働き、アメリカ軍の戦闘機の奇襲を受けた。その時、同級生が頭をざっくりと割られ、助けを求めるように手を差し伸べていた。しかし、恐怖のあまり、その手を握れず、逃げ出してしまった。その後、このことが大きな苦しみとなってのしかかっていたという。
その黒木監督が、忘れられない心の痛みを乗り越えて制作したこの作品。この映画は私の心に強いメッセージを与えてくれた。
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# by van__gogh | 2006-08-06 08:45 | 映画・演劇・TV | Trackback | Comments(0)

大川美術館を訪れて①

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念願の大川美術館に行ってきた。この美術館は群馬県桐生市にあり、新桐生駅からタクシーで10分ぐらいの山の中腹に位置する。
昨年、愛媛県在住のお友達が、今治市にある玉川近代美術館に連れて行ってくださり、松本竣介、藤田嗣治、浅井忠・・・と私の好きな画家、それも、選び優れた作品に心から感動してしまった。どうして、こんなに素晴らしい作品ばかりがあるのだろう・・・と思っていたら、作品を選んだのは大川美術館の大川館長だとお友達が教えてくださった。
大川館長はダイエーの副社長などを勤めたビジネスマン。彼は人に左右されることなく、自分の好みの絵を集め、独自の展示をしていると言う。それも、私の大好きな松本竣介を多数集めており、これは行くしかない!

美術館の前に着いた時、思っていたよりも小さい美術館で、少し驚いてしまう。しかし、山の斜面を利用して、とてもうまく設計されていて、意外や広い。玉川近代美術館同様、松本竣介の息子さんが設計したという。なるほどだ。

この美術館の大きさにふさわしく、館内には味わいのある小品が多く集められている。時として、小さな作品は大きな作品より威力がある。画家の魂が入っているかのように・・・。そんなことを感じさせてくれる作品ばかりだ。

大川館長は、松本の作品だけでなく、彼に影響を与えた野田英夫、友人の曖光などの作品も集め、その徹底ぶりに感心してしまう。そして、彼の観察眼、審美眼の高さ。最高の目利き者だ。

美術館のパンフレットには
美術館とは、人間性の洗濯屋です。
すなわち、こころの洗濯をしたり、こころのオシャレをしたりする所なのです。
皆さんどこか傷ついたこころや、溜まったストレスなど ”絵”を観て、癒してください。


まさしく、この言葉どおりの美術館であった。心から癒され、力をもらった1日であった。
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# by van__gogh | 2006-07-24 22:30 | Trackback(1) | Comments(0)

ゴッホの肖像

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ロートレックの描いた「ゴッホの肖像」(1887)は、ゴッホらしさを感じさせる作品だ。ゴッホの純粋さと物悲しさの両方が同時に伝わってくる。
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ゴッホ自身、短い一生の中で、多くの自画像を残した。しかし、彼特有の荒々しい筆使いで、観ている方が圧倒されてしまう作品もある。
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さらに、アルルで共同生活をしていたゴーギャンが描いたゴッホの肖像も比較してみると、興味深い。ひまわりを描いている画家からゴッホを想像できるかもしれない。しかし、自画像を見た人にとって、同一人物とは思えないところがある。ゴッホの特徴である顔の厳しさが感じられず、生気を失っている。顔はのっぺりしていて、こんなに太っていない。ゴッホ自身も「ゴーギャンの絵は確かに私だ。しかし狂った私だ」と言っている。この「狂った」という表現がおもしろい。
ゴーギャンの絵は、お互いの信頼関係があまりないことを何気なく示し、悲劇はゴッホがゴーギャンと口論の末、自分の耳を切り落とすという結末を迎える。
ロートレックの作品はなぜゴッホらしいのだろうか・・・。
2人が知り合ったのは、1886年末、パリのコルモンという画家の画塾で、翌年、このゴッホ像が描かれた。
2人とも個性と主張が強く、この画塾は長続きしなかったが、その後も友情は続いていく。なぜならば、お互いの才能を認め、尊敬しあっていたためだ。
ロートレックはデッサンの天才で、思った通りに素早く描く。この作品もきっとそうだ。パステルを選んだことで、油絵には出せない独特のほんわかしたやさしさも表している。
右から明るい光が入り、横向きのため目は細く描かれ、ゴッホの神経質な感じが強調されていない。肩や手には丸みが感じられ、威圧感もない。
オランダの田舎出身のゴッホは、パリで、印象派の作品や浮世絵と出会い、彼の作品に大きな影響を与える。彼はロートレックに、夢中でこれらのことを語りかけたに違いない。この絵にはゴッホが、人と話そう、人を受け入れよう、そんな雰囲気が表されている。
パリに来てからのゴッホは、今までの暗い色彩から、明るい色彩へと変化した。しかし、次第にパリの光では物足りなくなる。さらに、大都会の生活にも疲れを感じていたころ、南仏に行くことをすすめたのが、ロートレックであった。彼自身が南仏の出身である。
そして、ゴッホの鮮やかな色彩は、南仏アルルの太陽の下で大きく開花する。
また、ベルギーの画家が展覧会でゴッホの作品を中傷した時、ロートレックは両足が不自由なのに、決闘を申し込んだという。
友人の少ないゴッホにとって、ロートレックは貴重な友人の一人だった。その友人が描いたゴッホの肖像。
「これは私が知っている、ありのままのゴッホだ」と笑いながら語るロートレックの声が聞こえてきそうだ。

☆アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「ゴッホの肖像」 1887年 パステル ゴッホ美術館
☆ファン・ゴッホ「自画像」 1887年 油彩 ゴッホ美術館
☆ポール・ゴーギャン「ひまわりを描くゴッホ」 1888年 油彩 ゴッホ美術館
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# by van__gogh | 2006-07-03 20:35 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

高島野十郎展

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アートのお仲間のとらさんが絶賛していた「高島野十郎展」に行ってきた。
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# by van__gogh | 2006-06-18 21:38 | Trackback(1) | Comments(0)