ひろしま美術館 ドガ 『浴槽の女』

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まるでカメラのシャッターを押し間違えたような絵だ。ひろしま美術館で鑑賞した、ドガ(1834-1917)の『浴槽の女』(1891)である。
裸の女性は、海綿を使って盥を磨いていることから、湯を浴びた後にちがいない。官能的でもなく、嫌らしさも全く感じない。ただただありのままの姿だ。生きて働く女性の現実を感じ、驚くほどの力があふれている。このようなポーズで描く画家も彼ぐらいだろう。
肉体からは、ほんわかした温かさが伝わってくる。パステルが余計にそうさせるのだろう。特に、お尻と背中の右側は青みがかっており、この女性の肌の木目こまやかさがうかがえる。背中の中央は光があたり、白く輝いている。
当時の裸婦は、ルノワールに見られるように、肉体を甘くやさしく描くことが主流であった。同じく、ひろしま美術館にある「パリスの審判」も、主題がギリシア神話だが、女性をゆったりと美しく、理想的に見せている。
ドガは裕福な家庭に生まれたが、洗濯女やアイロンをかける女など、労働する女性を多く描いた。中年から晩年にかけては裸婦も多く描いている。しかし、他の画家とは異なり、動いている一瞬をさまざまな角度から大胆に描くのだ。  
ドガ自身、「裸婦は見る者を予想したポーズでいつも描かれているが、私の描いている女性たちは正直で、単純な人々で、自分の動作に夢中で他のことには関心がない」と自分の考えを述べ、当時の画風を批判している。そんな観察眼の鋭い彼の絵が、私は大好きだ。
驚くことに、この作品は、ドガ57歳に描いたもので、かなり視力が弱くなってからの作品である。
ドガの最大の特徴は正確な線描と言われる。青年時代に、尊敬する画家のアングルから「とにかく線をひきなさい」と言われ、それを忠実に守った。この作品からは、目が見えなくなっていることを全く感じさせない。若い時に培った線描の成果と同じ題材を、異なる角度から何回も何回も描いたからだろう。また、見えなくなってきてからの方が、色彩が鮮やかだから不思議だ。
画家にとって目は命である。口や足で描いた絵を何度か見たことがあった。かなりの努力と忍耐を要しただろう。しかし、見えない目で絵を描くというのはどのようなことだろうか・・・。
もともとドガは神経質で、人にも自分にも厳しく、その言動によって、友人も少なかったという。そのような頑固なドガの悲しみと怒り、そして、それでも描きたいという気持ちは計り知れない。
『浴槽の女』をじっと見つめていると、描ける喜びと見えなくても描きたいというドガの強い執念を感じる。好きなことはやはり諦めないし、諦めきれないのだ。
この美術館のある広島は、61年前の今日、世界最初の原爆が投下され、多くの生命が奪われ、街は廃墟となった。絶望、悲しみ、痛み、怒り、貧しさ・・・さまざまな苦悩があった場所である。
盥にしっかりと足を踏みしめた女性の体はたくましい。何もまとわず裸で前かがみになり、海綿で盥こすることだけに懸命だ。その姿に、復興のために必死で働いた広島の人々の思いを私は重ねてしまうのである。
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# by van__gogh | 2006-08-06 08:50 | ドガ | Trackback | Comments(0)

映画 『父と暮せば』

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映画の舞台は、原爆投下から3年後の1948年の広島。登場人物は原爆で自分だけ生き残ってしまった娘・美津江(宮沢りえ)と、原爆で死んでしまった父・竹造(原田芳雄)、そして、東北から広島大学の助手になったばかりで、原爆資料を集めている木下青年(浅野忠信)の、わずか3人のみ。4日間の物語で、台詞はすべて広島弁である。
美津江は自分に思いを寄せてくれて、自分も同じ気持ちの木下と、幸せになりたいと思う。しかしその半面、原爆で生き残った負い目を感じ、自分だけが幸せになってはいけないと、幸せを否定するもう1人の自分がいる。
そこへ父が幽霊となって「恋の応援団長」として、美津江の援助をする。実際、この幽霊は、娘のもう一つの心が語らせ、「1人2役」と著者が言っているが、非常に味のある効果的な作品だ。
私はこの映画を観るまで、戦争で生き残ったものが「生きているのが申し訳ない」などと、深く考えたことがなかった。また、生き残った人の多くは、人前で「負い目」を語りたくなかったかもしれない。しかし、後ろめたさを感じながらも、もう1人の美津江のように、「やはり幸せになりたい」と、生きていれば誰もが思うことだ。
その思い悩む美津江と父との最後の別れの回想シーンは、映画館中が感動であふれ、すすり泣く音でいっぱいだった。
映画のクライマックスは、木下の集めた原爆の残骸が美津江の家に運ばれるが、その中に地蔵があった。地蔵の顔の半分は溶け崩れ、顔のつくりを失っている。
この地蔵を見て美津江は「うちはおとったんを地獄よりひどい火の海に置き去りにして逃げた娘じゃ。そよな人間に幸せになる資格はない」と、どんなことをしても助けきれなかった父への罪悪感に襲われる。
父は爆風で建物の下敷きになり、まだ燃え続けている中で、共倒れになってしまうことがわかった。美津江を逃すために、父がじゃんけんで決めようと言い出したのだ。父はグーばかり出し続け、わざと負けようとする。これは幼いころから娘かわいさに、いつも父がしてきたことだ。
美津江もパーは出せない。しかし父は「パーを出さんのじゃ。親に孝行する思うてはよう逃げいや」と厳しくつきかえす。
私は自分の父もこのような状況になった時、きっと同じことをしてくれただろうと思った。そして、そう思えた自分がうれしくもあった。
2人の別れはお互いが納得し、納得させたものであった。しかし、残された美津江の負い目は、いつも重く残っていた。
最後に父は「おまいはわしによって生かされとる」と語り、このむごい別れを伝える大切さを、愛する娘に教える。ようやく美津江は父の願い、死者の思いを知り、希望を持って生きようとするところで、映画は終わる。
この映画を観てから知ったのだが、黒木監督自身も学徒動員で宮崎の飛行機工場で働き、アメリカ軍の戦闘機の奇襲を受けた。その時、同級生が頭をざっくりと割られ、助けを求めるように手を差し伸べていた。しかし、恐怖のあまり、その手を握れず、逃げ出してしまった。その後、このことが大きな苦しみとなってのしかかっていたという。
その黒木監督が、忘れられない心の痛みを乗り越えて制作したこの作品。この映画は私の心に強いメッセージを与えてくれた。
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# by van__gogh | 2006-08-06 08:45 | 映画・演劇・TV | Trackback | Comments(0)

大川美術館を訪れて①

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念願の大川美術館に行ってきた。この美術館は群馬県桐生市にあり、新桐生駅からタクシーで10分ぐらいの山の中腹に位置する。
昨年、愛媛県在住のお友達が、今治市にある玉川近代美術館に連れて行ってくださり、松本竣介、藤田嗣治、浅井忠・・・と私の好きな画家、それも、選び優れた作品に心から感動してしまった。どうして、こんなに素晴らしい作品ばかりがあるのだろう・・・と思っていたら、作品を選んだのは大川美術館の大川館長だとお友達が教えてくださった。
大川館長はダイエーの副社長などを勤めたビジネスマン。彼は人に左右されることなく、自分の好みの絵を集め、独自の展示をしていると言う。それも、私の大好きな松本竣介を多数集めており、これは行くしかない!

美術館の前に着いた時、思っていたよりも小さい美術館で、少し驚いてしまう。しかし、山の斜面を利用して、とてもうまく設計されていて、意外や広い。玉川近代美術館同様、松本竣介の息子さんが設計したという。なるほどだ。

この美術館の大きさにふさわしく、館内には味わいのある小品が多く集められている。時として、小さな作品は大きな作品より威力がある。画家の魂が入っているかのように・・・。そんなことを感じさせてくれる作品ばかりだ。

大川館長は、松本の作品だけでなく、彼に影響を与えた野田英夫、友人の曖光などの作品も集め、その徹底ぶりに感心してしまう。そして、彼の観察眼、審美眼の高さ。最高の目利き者だ。

美術館のパンフレットには
美術館とは、人間性の洗濯屋です。
すなわち、こころの洗濯をしたり、こころのオシャレをしたりする所なのです。
皆さんどこか傷ついたこころや、溜まったストレスなど ”絵”を観て、癒してください。


まさしく、この言葉どおりの美術館であった。心から癒され、力をもらった1日であった。
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# by van__gogh | 2006-07-24 22:30 | Trackback(1) | Comments(0)

ゴッホの肖像

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ロートレックの描いた「ゴッホの肖像」(1887)は、ゴッホらしさを感じさせる作品だ。ゴッホの純粋さと物悲しさの両方が同時に伝わってくる。
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ゴッホ自身、短い一生の中で、多くの自画像を残した。しかし、彼特有の荒々しい筆使いで、観ている方が圧倒されてしまう作品もある。
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さらに、アルルで共同生活をしていたゴーギャンが描いたゴッホの肖像も比較してみると、興味深い。ひまわりを描いている画家からゴッホを想像できるかもしれない。しかし、自画像を見た人にとって、同一人物とは思えないところがある。ゴッホの特徴である顔の厳しさが感じられず、生気を失っている。顔はのっぺりしていて、こんなに太っていない。ゴッホ自身も「ゴーギャンの絵は確かに私だ。しかし狂った私だ」と言っている。この「狂った」という表現がおもしろい。
ゴーギャンの絵は、お互いの信頼関係があまりないことを何気なく示し、悲劇はゴッホがゴーギャンと口論の末、自分の耳を切り落とすという結末を迎える。
ロートレックの作品はなぜゴッホらしいのだろうか・・・。
2人が知り合ったのは、1886年末、パリのコルモンという画家の画塾で、翌年、このゴッホ像が描かれた。
2人とも個性と主張が強く、この画塾は長続きしなかったが、その後も友情は続いていく。なぜならば、お互いの才能を認め、尊敬しあっていたためだ。
ロートレックはデッサンの天才で、思った通りに素早く描く。この作品もきっとそうだ。パステルを選んだことで、油絵には出せない独特のほんわかしたやさしさも表している。
右から明るい光が入り、横向きのため目は細く描かれ、ゴッホの神経質な感じが強調されていない。肩や手には丸みが感じられ、威圧感もない。
オランダの田舎出身のゴッホは、パリで、印象派の作品や浮世絵と出会い、彼の作品に大きな影響を与える。彼はロートレックに、夢中でこれらのことを語りかけたに違いない。この絵にはゴッホが、人と話そう、人を受け入れよう、そんな雰囲気が表されている。
パリに来てからのゴッホは、今までの暗い色彩から、明るい色彩へと変化した。しかし、次第にパリの光では物足りなくなる。さらに、大都会の生活にも疲れを感じていたころ、南仏に行くことをすすめたのが、ロートレックであった。彼自身が南仏の出身である。
そして、ゴッホの鮮やかな色彩は、南仏アルルの太陽の下で大きく開花する。
また、ベルギーの画家が展覧会でゴッホの作品を中傷した時、ロートレックは両足が不自由なのに、決闘を申し込んだという。
友人の少ないゴッホにとって、ロートレックは貴重な友人の一人だった。その友人が描いたゴッホの肖像。
「これは私が知っている、ありのままのゴッホだ」と笑いながら語るロートレックの声が聞こえてきそうだ。

☆アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「ゴッホの肖像」 1887年 パステル ゴッホ美術館
☆ファン・ゴッホ「自画像」 1887年 油彩 ゴッホ美術館
☆ポール・ゴーギャン「ひまわりを描くゴッホ」 1888年 油彩 ゴッホ美術館
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# by van__gogh | 2006-07-03 20:35 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

高島野十郎展

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アートのお仲間のとらさんが絶賛していた「高島野十郎展」に行ってきた。
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# by van__gogh | 2006-06-18 21:38 | Trackback(1) | Comments(0)

ファン・ゴッホ 『マウフェの思い出に』

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たくさんの花が開き、幸せな気持ちにさせてくれる。きっと、おいしい桃の実がたくさんなるのだろう。ファン・ゴッホの描いた『花咲く桃の木』(1888)である。
絵の左下を観てみよう。「マウフェの思い出に フィンセント」と書かれている。フィンセントとはゴッホのファーストネームである。
マウフェとは誰だろう…。マウフェとはゴッホの従姉の夫で、当時のオランダでは、有名な画家であった。
ゴッホは職を転々としたものの、どれ一つと長続きしない。しかし、1881年、28歳の時、自分の仕事は、最も好きな絵を描くことだと確信し、画家になることを決意する。その初期に、絵の指導をしてくれたのが、彼である。
ゴッホの絵は感情のままに描いたと言われることがある。しかし、その考えを全面的には賛成できない。なぜならば、彼の素描をみると歪みなど無い。色を塗る段階で、彼特有の技を加えるのであって、非常に正確で冷静なデッサンを描く。このデッサンの基礎を教えたのが、マウフェと言ってもいいだろう。 
彼は絵の指導だけでなく、ゴッホの部屋代や家具代なども工面してあげたようだ。そして、ゴッホもマウフェを尊敬し、お互い信頼関係にあった。
しかし、ゴッホは、自分の表現よりも、次第に売れる絵を描こうとしていく。そのことをマウフェが非難し、ゴッホも自分の過ちに気づき、絵をすべて燃やしてしまったと言う。それでもマウフェは納得できず、2人の師弟関係は終ってしまった。  
それから7年後の2月、ゴッホは南の太陽を求めてアルルに来ていた。
彼はこの絵を自信作と言っているが、絶頂期の始めに描かれたもので、彼の生命感、芸術感が強く伝わってくる。
そんな時、かつて教えを受けたマウフェの死を聞く。彼から見捨てられてしまったけれど、ずっとマウフェを慕っていた。だから、その悲しみを絵に託して、絵の左下にマウフェへの尊敬と感謝を込めて書き記したのだろう。この作品は、その後マウフェ夫人に贈られたという。
この頃、ゴッホはとても素敵な言葉を残している。
「死者たちを死んだと思ってはいけない。生きている者がいる限り、死者たちも生きているのだ…。僕はこのように考える。それ以上悲しくものごとを考えないのだ」と。
ゴッホの絵は、生前1枚しか売れなかったと言われている。しかし、彼は自分の描きたいように描き続けた。売れるような絵ではなく、マウフェの教えどおりに。
太陽の光に満たされ、真青な空の下に生き生きと根を下ろした桃の木。ゴッホが死者となった今も、そしていつまでも、この絵は生き続けるに違いない。

☆ファン・ゴッホ 『花咲く桃の木 (マウフェの思い出に)』 1888年 油彩 
クレラー・ミュラー美術館 
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# by van__gogh | 2006-06-16 23:12 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

アプサント

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ここはパリの場末のカフェ。あまり近づきたくないようなお店の片隅に男女2人がいる。どうやらカップルでもなさそうだ。ドガ(1834‐1917)の描いた『アプサント』 (1876)である。
女性の足元は大きく開き、育ちがあまりよくないことを何気に感じてしまう。
そして彼女の目は、テーブルの上にあるお酒、「アプサント」と同じように濁って、どんよりとしている。
日常の生活に疲れ果ててしまったのだろうか…。それともこのお酒に酔ってしまったのだろうか…。おそらく両方だろう。
一方、隣の男性の前にあるのは、アイスコーヒーと炭酸水を混ぜた「マザグラン」とう飲み物らしい。彼の目が赤いことから、酔いを覚ますためなのだろう。きっと、アプサントの飲み過ぎに違いない。
彼は隣の力の抜けかかった女性に無関心のようだ。もう話し合いは終ったのかもしれない。
酔いつぶれた2人は絵の中心には描かれていない。まるで、世の中のはみ出しもののように右端に描かれている。全く容赦ない描き方だ。
彼らの隣のテーブルに水差しがある。アプサントはアルコール分が65~70%と非常に高く、水で薄めて飲む人も多いそうだ。そうすると、黄緑色のお酒が乳白色になる。彼女の飲んでいるアプサントの色を見ると、薄めたとしても、たいして薄めていないのだろう。
2人をこんな表情にさせてしまうアプサントとは、どんなお酒なのだろうか。
調べていくと、19世紀のヨーロッパ、特にフランスの文学者や画家たちに好まれたお酒のようだ。
常飲すると主原料のニガヨモギに含まれているアブシンソールという精油のために神経系統を冒すという。そのため、1907年にスイスで、1915年にフランスで製造禁止になってしまったそうだ。
f0104004_12573216.jpgロートレックはアプサント中毒になり、命を縮めたそうだし、ゴッホもアプサントの飲み過ぎで、心身ともに打撃があったらしい。左はゴッホの描いた『アプサント』(1887)である。なぜだか、ゴッホの体とは裏腹に、窓から昼間の外の様子がわかり、ゴッホにしては薄塗りで、さわやかな気持ちのよい作品だ。
彼らと同様に、ドガもアプサントを飲んでいたかもしれない。しかし、自分にも人にも厳しい彼は、酔いつぶれたりすることはなかったのではないだろうか・・・。
彼の描いた絵は「鍵穴から生活を覗き見したようだ」と、しばしば表現される。
きっと彼のことだから、アプサントで身を滅ぼす人たちを冷静に見て、その姿までも絵にしてしまうのだ。そして、驚くことに、この絵のモデルはドガの友人たちである。女性が美人女優のエレン・アンドレ、男性が版画家のマルスラン・デブタンにポーズをとってもらった。(ドガは、やってくれるなぁ…)と思ってしまう。
多くの人を酔わせ、破滅させて、製造禁止になったアプサント。それでも人々には「アプサント信奉」があったようだ。今では覚醒作用のない新しいアプサントが製造されているという。
いつまでも人の心を誘う黄緑色のアルコール。本当に「懲りない魔性のお酒」である。
少し怖いけれど、安全になったアプサントを、いつか私も飲んでみたい気持ちだ。
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# by van__gogh | 2006-06-03 12:06 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

藤田嗣治『猫のいる静物』・・・ブリヂストン美術館

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「ブリヂストン美術館にも藤田のいい作品がある・・・」ということをネットで知り、どんな作品があるのかとても楽しみだった。
そして期待通り、しばらく立ち止まってしまったほど魅力的な作品が、『猫のいる静物』(1932・油彩)だ。
今まで乳白色の裸婦像で、背景が黒のものは何枚も観た。しかし今回は裸婦ではなく、猫。
その猫も、藤田がよく描く、いたずら好きの猫君。
絵の片隅にいて、これから目の前にあるご馳走をコソッといただいてしまおうかとたくらんでいるようだ。そして、鳥も(黙っていてあげるから、僕にもちょうだい!)と応援しているように見えてしまう。
台の上にある海の幸、野菜、果物、卵は藤田特有の細かい線猫で、質感と温かみが感じられる。私のお気に入りの1枚となった。
チケットをくださった、猫好きのLさん、心からありがとうございます!


ここは作品だけでなく、展覧会場のスタッフも一流だと思いました(また後で書きます)

その他展示されていた藤田嗣治の作品
☆『横たわる女と猫』(1932) 油彩 石橋美術館
☆『ドルドーニュの家』(1940) 油彩 ブリヂストン美術館
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# by van__gogh | 2006-05-28 09:15 | Trackback | Comments(0)

バトン お題は『ゴッホ』

ヨーロッパ映画とユトリロ、コローがお好きなゆうちゃんから、バトンをいただきました。お題は『ゴッホ』です!
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ゴッホは私の一部分と言うと言い過ぎですが、それほど、大切な存在。苦しい時、悲しい時に、ゴッホの力強い筆使いを観ると、励まされ、力が出てくるんです。

【Q1:パソコンまたは本棚に入っている『ゴッホ』は?】
父から譲り受けたゴッホの本2冊、TASCHENの”VAN GOGH"が2冊。以前、ここの出版社の絵はあまりよくないとネットで書かれている方がいて、(偉そうな・・・)と思ったのですが、確かに他の画集と比べると落ちます(その罰でしょうか・・・。お茶を大量にこぼしてしまったようで、画集の下の部分がシミだらけ、トホホ・・・)。あとはカタログが2冊。大切な存在と書いておきながら、手元に本があまりなく、お恥ずかしい。

【Q2:今妄想している『ゴッホ』は?】
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ゴッホの甥であるヴィンセント君誕生における『花咲くアーモンドの枝』の脚本を書き、映画化(大嘘)。

【Q3:最初に出会った『ゴッホ』は?】
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小学校の授業で、先生がMoMAの『星月夜』を紹介してくださいました。

【Q4:特別な思い入れのある『ゴッホ』は?】
①数年前、シカゴ美術館の特別展『ゴッホとゴーギャン展』で観た『種まく人』の習作です。
ゴッホというと、感情のままに描いたと言う人がいますが、彼の素描を見ると、入念にデッサンし、頭の中ですごくよく考えています。そして、キャンバスに向うとあのような構図になるのです・・・。そこが何とも言えず、興味深く、魅力でもあります。

②同じくシカゴ美術館の特別展で、今は離れ離れになっている『ゴッホの椅子』(アムステルダム)と『ゴーギャンの椅子』(ロンドン)の両方に対面できたことです。ゴッホの寂しい気持ちがひしひしと伝わってきました。
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③METにある『じゃがいもの皮をむく』(1885)と『自画像』(1887)です。
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これは一枚のキャンバスの裏表に描かれています。
『じゃがいも~』は1885年、オランダ・ニューネンで描かれました。私はアルル以降の色彩画家といわれるゴッホよりも、オランダ時代の農民たちを描く、農民画家としての作品に心が傾きます。貧しくても、惨めな雰囲気がなく、堂々と、威厳さえ感じるこの時代の作品がたまらなく好きです。
一方、『自画像』は2年後、オランダを離れ、パリに行ってから描かれました。新しいキャンバスが買えなく、『じゃがいも~』の裏に布を貼って、『自画像』を描いたのでしょう。この2枚の絵を見比べるとおもしろいです。
オランダ時代は暗い色彩でしたが、パリで印象派の作品に出会い、この『自画像』のようにどんどん作品が明るくなります。でも麦藁帽子を被ったゴッホは大都会のムッシュという感じがしません。パリの街でも、農民を愛する気持ちを忘れてはいなかったと思います。
 
【Q5:最後にバトンを回したい人とそれぞれのお題は?】
リナさんにお願い致します。お題は大好きなジウ姫で。
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# by van__gogh | 2006-05-12 22:58 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

椅子

椅子とは、自分の小さな居場所だと思う。椅子に座ると、自然に心も体も椅子に委ねることになる。
仕事の場、休息の場、喜びの場、嘆きの場・・・多くの人にとって欠かせないところだ。
私は自分の部屋の椅子が一番の居場所だ。木製で、背と座る部分が淡いピンクの布で覆われ、座り心地がいい。
ゴッホは「椅子は人である」「椅子を用いて性格を描写することは、とても愉快だ」と語っている。
彼の描いた2つの椅子の絵を見てみたい。
1枚は『ゴーギャンの肘掛け椅子』、もう1枚は『ゴッホの椅子』である。両作品とも1888年12月にアルルで描かれた。
ゴッホはその10ヶ月前、パリを離れ、明るい太陽を求めてアルルにやってくる。そこで、画家の共同体を作ることが彼の夢だった。
貧しい画家たちが一か所で生活すれば、食費や家賃などの負担が減り、材料費の無駄も少なくなる。誰かの作品が売れれば、全員で平等に分配し、お互いが助け合い、競い合ってもいける。ゴッホは社会派の画家でもあったのだ。
彼はアルルに着いてから、パリに住む何人もの画家に「共同体」の声をかけた。しかし、誰も反応してくれない。
f0104004_20421236.jpgようやく8ヶ月目にして、仲間の1人が呼びかけに応じてくれた。ゴーギャン(1848-1903)である。
残念なことに、彼はゴッホの夢など頭になく、絵が売れず、生活費を浮かせるために、アルルにやってきた。
しかしゴッホは、仲間が来ることを素直に喜んだ。
謙虚な彼は共同体で自分がリーダーになろうとは思っていなかった。ゴーギャンこそ、リーダーにふさわしいと考えたのである。
彼への尊敬と愛情を持って買った椅子が、ゴッホの描いた『ゴーギャンの肘掛け椅子』だ。
肘掛けがあり、座る部分も布張りで、とても洒落た造りだ。床には絨毯がひかれ、ゴーギャンへの歓迎ぶりがうかがえる。しかし、よく見てみると、使われている木の多くが湾曲し、落ち着きがなく、威圧的でもある。また、夜の部屋で、ランプの光と緑の壁が重々しい。
f0104004_20414677.jpg一方、『ゴッホの椅子』は座る部分がいぐさで、全体が簡素な木でできている。床もタイル張りだ。これは共同体の仲間たちのために購入した椅子の一つで、ゴッホの椅子であることを示す、愛用のパイプと煙草が置かれている。昼間の光に照らされ、椅子はしっかりと床に根をおろし、力強い。
しかし、2人の性格はこれらの椅子と同じぐらい対照的であった。ゴッホは実物がないと描けないが、ゴーギャンは想像で絵を描く。一方的で思い込みの激しいゴッホと傲慢で腹黒のゴーギャン。
二人の会話は次第に激しい口論になり、椅子から立ち上がれないほど、心と体を消耗しきっていたことも多かったようだ。
そして2ヵ月後、とうとうゴーギャンはアルルを去り、ゴッホも精神病院に入院してしまう。
2つの椅子は最後には主のいない椅子になってしまった。しかし、これらの椅子は、2人のやりとりや心情を一番よく知っていただろう。椅子はそんな役割も果たしている。
私の座る椅子。特に自分の部屋の椅子は、誰よりも、何よりも、私の喜びや悲しみを一番わかっているのではないだろうか。

☆ファン・ゴッホ 『ゴーギャンの肘掛け椅子」』 Gaugin's Chair
1888年 油彩 ファン・ゴッホ美術館 
☆ファン・ゴッホ 『ゴッホの椅子』 Van Gogh's Chair
1888年 油彩 ロンドンナショナルギャラリー
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# by van__gogh | 2006-05-12 22:50 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)