お気に入りのスーパー

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いつも行くのは家の近くのスーパーS(近くても車で行きます。1週間に1度は車にエンジンをかけないと、ということで)。
最近、ちょっとお気に入りなのが、西武新宿駅から徒歩2分位のコリアンタウンにある南大門市場というスーパー。職安通りにあり、深夜はさすがに怖いけれど、夜も比較的大丈夫。
1番大きいのが、もう少し奥にある韓国市場という名前のスーパーだけれど、ここでも私は十分。
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よく買うのが、ナムルセット500円。もやし、ゴマつき青菜、大根のキムチ、ぜんまいの4種。


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で、作ってみました。といっても、後は目玉焼きを作って、上にのせるだけですが・・・。
NYCのコリアンタウン(ハンバット)には思いっきり負けますが、結構いけます。デリシャス~。
私は石焼ビンバよりも普通のビビンバの方がナムルが生き生きしていて、好き!

今、コリアンタウンで1番行きたい所はここ
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# by van__gogh | 2006-09-17 10:39 | Trackback | Comments(0)

ヴァン・ドンゲン 『天使の反逆』

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彼女の色っぽさに、思わず立ち止まってしまった。少し顎をあげ、髪はアップにし、右手を頭に当て、脇を大胆に見せているのは、きっと自分に自信があるからなのだろう。左足を少し上げ、絵のバランスもとてもよい。
そして、タイトルがまた個性的である。『天使の反逆』だ。彼女はどう見ても、天使には観えない。もし、天使だとしたら、『天使の誘惑』。そして、「反逆」を残すとしたら、『小悪魔の反逆』と私は名付けたい。
しかし『天使の反逆』と名付けたは、深い考えがあったのではない。絵の右側のソファーの上にある、彼の友人・アナトール・フランスの小説、『天使の反逆』からとったからである。
ドンゲンはブルジュワ階級の肖像画家であるから、彼女は正真正銘のお金持ちの婦人だろう。
それでも、このようなギリギリの色気は、お調子者・ドンゲンのやらせなのだろうか…。それとも彼女に具わったものなのだろうか…。きっと両方だろう。
とにかく、私が今まで見た中で1番色っぽい絵は、この『天使の反逆』に決まり!


☆『天使の反逆』 キース・ヴァン・ドンゲン 1923年 松岡美術館
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# by van__gogh | 2006-09-11 21:57 | Trackback | Comments(0)

ピカソ 『頭蓋骨のある静物』

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鉄格子のような違和感のある窓ガラスのある部屋は尋常な雰囲気ではない。テーブルの右上にはまだ生々しく感じる歯と鋭い角を持つ、牛の頭蓋骨。まるでサイボーグのようにも見える。そして、その前には変わった形をした花瓶の中に、痛そうな三角形の葉を持ち、先の尖った花びらが活けてある。不思議な絵だ。
この作品は1942年、第2次世界大戦の真只中、パリで描いたピカソの『頭蓋骨のある静物』(1947)だ。
ピカソの戦争(抵抗)画といえば、多くの人が『ゲルニカ』(1937)を思い出すだろう。彼の祖国であるスペインのバスク地方のゲルニカ村が、フランコ将軍に味方したナチスの爆撃機によって壊滅されたことに対して、彼の怒りが爆発し、抗議のために描いた作品である。
パリはすでに、ナチスの支配下にあり、ナチスを非難した『ゲルニカ』を描いたピカソの評判はよくなかった。しかし、彼に作品の発表を禁止した以外は、特に圧力をかけたりはしなかったようだ。
ピカソもアトリエで黙々と絵を描く。しかし、戦争に対する静かな抵抗が感じられる作品を手掛ける。
ピカソは、「闘牛」に影響があるのかないのか、私にはわからないが、時々、「牛」を暴力的な象徴とする。
そして、この作品や『牛の頭蓋』(1942)では、戦争の醜さ、恐怖、おぞましさを「牛」、それもすでに死んでしまった「頭蓋骨」で表す。
それに対して、葉を精一杯広げ、汚れのない白い花は、牛の頭蓋骨に何かを訴えているかのようだ。今は、牢のような場所にいるが、「決してこのままであってはいけない」という、強い叫びを花の仕草から感じるのである。


昨年、大原美術館に行った時、この『頭蓋骨のある静物』を鑑賞することができた。この作品を購入した大原氏の伝記、『大原總一郎 へこたれない理想主義』(中央文庫)を買って読んでみたが、大変興味深い。
大原氏はどうしてもこの作品が購入したくて、所有者のパリのルイズ・レイリス画廊に聞いたところ、1000万円といってきた(1951,2年)。しかし、用意できた現金は330万円。結局、大原美術館蔵の絵の何点かを売り、2年ほどかけて清算したという。
そのやっと手元に入れた絵が、現在、東京近代美術館で開催されている「モダンパラダイス 東西名画の饗宴」の第4章「夢かうつつか」(このタイトルには疑問)の中で、鑑賞することができる。
東西対比(東京VS大原)ということで、ピカソと同じく、戦争に賛成しなかった靉光の『眼のある風景』と対比させている。
何かを見つめながら、意味を越えた無意識の闇に迫ろうとした靉光と、戦時下に絵を通して自己と向き合ったピカソとして。

個人的には、この作品の右側にある藤田嗣治の『血戦ガダルカナル』(1944)と対比させてみた。
まず2人には親交がある。彼らは第2次世界大戦前のパリで大活躍していた。そして互いに異邦人である。
藤田がピカソのキュビズムに感化され、ピカソも藤田の画法に高い関心を示し、彼の絵の前で、数時間いたという話はよく知られている。
決定的に違うのは2点。スペイン人のピカソは戦争になっても、故国に帰らず、藤田は敵国ということもあって、日本に帰る。戦争画にのめりこんだ藤田と、戦争に抵抗しながらも、第2次世界大戦中は、公にそのような絵は描けず、心の中の戦争抵抗画を描いたピカソ。
「戦争」ということをテーマにすれば、2人の「絵」と「心」は、計り知れない大きな隔たりがあるのではないだろうか。
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# by van__gogh | 2006-09-02 09:37 | Trackback | Comments(0)

丸木位里・俊 『烏』

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鋭いくちばしを持ち、思いやりの心など全くない、真っ黒な烏が群れを成している。丸木位里・俊の描いた『烏』(1972)である。
すでに地上に降りた烏たちは無心に何かに突っついている。何をしているのだろう…。絵に近づいてもあまりよくわからない。なぜならば、腐り始めた人間の体だからだ。その体は、私たち日本人ではなく、よく似た朝鮮の方々である。
彼らは第2次世界大戦中に日本へ強制連行され、長崎の造船所で働かされていた。
そのため、1945年8月9日、長崎に投下された原爆で、彼らのうち約5000人が即死してしまう。それだけではない。日本人の遺体は片付けられても、彼らの遺体は放置されたままだった。そして、夏の暑い日差しの下で、遺体は腐り、烏の餌食となってしまう。死者となってまでも、大きな差別を受けていたのだ。何とも言えない、悲しい事実である。
左上の白い部分には烏が群がっていない。それは、食べれない朝鮮民族の正装、チマチョゴリだからである。
もちろん、このような事態の中、チマチョゴリがあるわけがない。これは、丸木俊が「象徴的」に描いたそうだ。チマチョゴリが風に舞って、遠い祖国へ届くように。
先日の8月15日、小泉首相は、中国と韓国が反発することも無視し、世論が何と言おうとも、靖国参拝を強行した。その理由は「心の問題」だとのこと。「被害を受けた国の人々の心がどうでもいい」と思う風潮が世の中に広まっては困る。
かつて、丸木俊の元に1通の手紙が届いた。韓国人女性からである。「よく描いてくださいました。心をこめて謝ってくれたのはこれがはじめてです」と。このような、お互いの心の交流こそ大切だと、しみじみ思う。
次期首相には、「自分の心の問題」だけでなく、「相手の心の問題」も考えられる人であってほしい。せめて、首相の立場である時だけは…。

☆丸木位里・俊『烏』 1972年 原爆の図 丸木美術館 
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# by van__gogh | 2006-08-19 22:59 | 日本人画家 | Trackback | Comments(0)

モディリアーニ 『ユダヤの女』

ポーラ美術館からタクシーで10分位のところにあるリ・カーヴ箱根美術館は、ホテル・リ・カーヴの中にある。ホテルに着いて、フロントに「美術館はどこですか?」と尋ねたところ、「どこの美術館ですか?」と聞かれてしまい、ハーッ??それから、ホテルの2階にあることを聞く。入館料は1000円。帰りは箱根湯本までのタクシーを呼ぶこともあり、「所要時間はどれ位ですか?」と尋ねたら「10分位です」とのこと。10分で1000円か・・・高すぎ!と思ったけれど、良質の作品ばかりで、見終わった後の不満はなし(あ、、でも手元にあったガイドブックを見せたら、200円引きだって、後で知る)。

今回の箱根美術廻りの最大のヒット作品は・・・
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こちらを向いた細面の女性は何を考えているのだろうか・・・。左腕を台にのせ、少し思いつめているようだ。しかし、鮮やかな唇の「紅色」から、もう決心はついたのかもしれない。モディリアーニの描いた『ユダヤの女』(1908)である。
実物の絵はもっと青緑色である。白目の部分まで緑であった。この作品は色といい、モデルのうつろな表情といい、貧しい人々や体の不自由な人々を描いたピカソの「青の時代」(1901-4)の影響を受けたものと思われる。
彼はユダヤ系イタリア人で、裕福な家庭に生まれたものの、幼少のころ、父が事情に失敗してしまう。しかし、叔父のおかげで、豊かな教養が身についたようだ。
1906年、22歳の時にイタリアからパリに出てくる。最初は彫刻家として活動していた。この作品はパリに出てきて二年後に描かれた油彩画である。彫刻の角張った鋭い線が感じられる。また、1915年頃から絵画に転じるが、『ユダヤの女』から後に彼の絵の特徴である首の傾き加減や目の描き方ははっきり出ていない。しかし、首の細さなどは将来の彼の作風を予感させるものがある。
パリに出てきても、全く作品は売れなく、持病の肺結核は悪化しているものの、深酒で、酒を飲んでは暴れ、不摂生な生活であった。
当時は、日本の藤田嗣治も含め、各国の画家たちがパリに出てきて、互いに激しく競い合い、時には助け合って活動していた。
しかし出身国は異なっていても、意外やユダヤ系が多く、彼の他、パスキン、スーチン、シャガールもそうであった。
モディリアーニはエトランゼの中で、自分のオリジナルはユダヤ人ということを意識して、この作品を描いたのかもしれない。


お友達のリセさんがこの『ユダヤの女』から、素敵な短歌を作ってくださいました。
★フィニッシュに真つ赤なルージュをひいたから もう迷はないもう戻らない 
一文で、これだけの濃度、人の心を捉えてしまう言葉を作るリセさんは、本当に才女です。ありがとうございます。

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# by van__gogh | 2006-08-15 23:14 | Trackback | Comments(0)

ポーラ美術館

今年初めにBUNKAMURAで開催された「ポーラ美術館展」で、好作品が多くあり、感激してしまった。箱根まで行く価値は大有りだと思い、はるばるポーラ美術館まで行ってきた。

お隣の神奈川県といえども、箱根は遠い。小田急線で、箱根湯本駅に行き、そこから、箱根登山鉄道に乗り換えて強羅駅。そしてタクシーで10分位のところにポーラ美術館はある。
緑いっぱいの大自然の中にスタイリッシュな建物。すばらしい~。
こにはゴッホの作品が3作(今回は2作)あり、再々会となった。

今回初めて鑑賞した作品で1番惹かれたのは、パスキンの『果物をもつ少女』(1927)だ。
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パスキンと言えば、「退廃」「不安」「孤独」を表した作品を多く描いているが、この作品のように、少女がモデルであっても同様だ。椅子や背景を曖昧にし、彼女の不安を体だけではなく、絵全体で表現している。
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# by van__gogh | 2006-08-15 23:05 | Trackback | Comments(0)

ゴッホ 『夕暮れの風景』

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とらさんのブログにすばらしい夕焼けの写真があった。とらさん、そしてリセさんは、ルーブル美術館にあるテオドール・ルソーの『森の落日』を思い出したと言う。
ゴッホもルソーの風景画に魅せられた一人であった。まだ画商時代から、ルソーの絵に親しみ、初期時代は模写なども行っていたようだ。そしてパリ時代はルーブルで、『森の落日』を観たかもしれない。
彼の『夕暮れの風景』(1890)はゴッホ終焉の地、オーヴェールで描かれた。緑豊かな7月。黄色とオレンジの夕焼けは、美しい輝きと、いつかは終わってしまう「はかなさ」の両方を表し、何ともいえない幻想的な絵である。

☆ファン・ゴッホ 『オーヴェールの城館』 (Le Chateau d' Auvers) 1890年 油彩 ゴッホ美術館
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# by van__gogh | 2006-08-13 14:04 | ファン・ゴッホ | Trackback(1) | Comments(0)

損保ジャパン美術館 ゴッホ『ひまわり』

夏の風物詩といえば、ひまわり。ひまわりと言えば、私の場合、もちろんゴッホだ。
今回、特別ゴッホが大好き!!というお2人と、損保ジャパン美術館にあるゴッホの『ひまわり』を鑑賞してきた。「プーシキンのぶどう畑の絵は〜」とか、「Metのミレーの模写は〜」で話が通じてしまうからすごい!すごい!

ゴッホが描いたひまわりは合計12点(13点という方もいた)。花の部分だけを描いたものが4点、家と一緒に描いたものが1点、そして私たちが見慣れている花瓶に活けたものが7点である。私たちが見慣れている花瓶に活けたものは、アルル時代に描かれたものである。
その7点のうち、最初の4点(1点は焼失・・・5輪)は実物を見ながら、残りの3点はその模写である。

1作目又は2作目・・・3輪のひまわり 個人蔵(サインなし)
3作目・・・ ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク美術館の『ひまわり』(サインあり)
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背景が青緑で、ひまわりが12本。私はゴッホの『ひまわり』の中で、この作品が1番好き! 黄色の背景のものよりも、ひまわりに生命感や自由奔放さがある!

4作目・・・ ロンドンのナショナルギャラリーの『ひまわり』(サインあり)
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 背景が黄色で、ひまわりが14本。
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5作目・・・損保ジャパン美術館の『ひまわり』(サインなし)
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4作目を観ながら描いたレプリカである。
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6作目・・・ゴッホ美術館にある『ひまわり』(サインあり) 同じく4作目のレプリカである。
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7作目・・・フィラデルフィア美術館の『ひまわり』(サインあり) 3作目のレプリカである。
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アルルでひまわりを多く描いた本当の理由は明らかではないが、もともとひまわりには「神の愛」、「信仰心」・・・などの意味があったこと、そしてアルルに来るように、待ち焦がれていたゴーギャンが、ゴッホの『ひまわり』の絵を気に入っていたことなどがあげられる。さらに、ひまわりは観賞用だけでなく、食用ともなるから、農民画家でもあったゴッホには、実り豊かな花としての賛美とも想像できる。

この損保ジャパン美術館の『ひまわり』を描いたのは1888年11月−12月となっており、ゴーギャンとの諍いがますます悪化している時だ。
ゴーギャンはゴッホが描いたひまわりを評価していたというが、どのような気持ちでこの模写の『ひまわり』を描いたのだろうか・・・。

ゴッホは自信があり、売れると思っていた絵にはVincentとサインをしたそうだが、この作品にはサインがない。自信がなかったのだろうか・・・。しかし、何とこの作品は54億円で、損保ジャパン(当時の安田火災)によって購入された。大きさは7作の中で、一番大きい。だから値段も??
額縁も購入価格にふさわしい立派だが、もう少し清楚な額縁の方が私は好み。。。

画集などで、損保ジャパンのひまわりの数が14本と紹介れているもの(例えば、昨年の「ゴッホ展」の図録)があり、とても気になっていた。何回数えても私には15本になる。ところが、損保ジャパンのHPを見ると、15本と書かれていた。なんだ・・・よかった〜〜。

ちなみにゴーギャンが想像で描いたひまわり(1888年秋)は『ひまわりを描くゴッホ』の中に描かれている。
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それから、ドガの絵からヒントを得たゴーギャンの『ひまわり』もなかなかユニーク。
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# by van__gogh | 2006-08-13 10:50 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

ファン・ゴッホ 『ドービニーの庭』

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絵から溢れ出しそうな緑と花の競演だ。それでいて、安らぎがある。まるでダイナミックな花籠のようだ。絵の中央奥には立派な家、右側には教会が見える。ファン・ゴッホが終焉の地、オーヴェールで描いた『ドービニーの庭』(1890)である。
ドービニーとは、ミレーと同じくゴッホが尊敬していた農村の風景を描いた画家だ。すでに彼は亡くなっていたが、ドービニー夫人がこの地にまだ住んでいた。絵をよく観てみると、家の前の小道には女性が歩いている。この人こそ、ドービニー夫人だ。

この作品はファン・ゴッホがピストル自殺をはかる数週間前に描かれたものである。しかし絵には迷いがなく、愛情に満ち溢れている。誰が彼の自殺など想像できようか・・・。ファン・ゴッホはこの絵を思いつきで描いたのではない。弟のテオに、「僕はドービニーの家と庭をこれよりも力の入った絵にしようと計画している」と語っている。ドービニーへの敬愛と、この庭への親しみを絵に託したかったのだろう。
そのため、この作品を含めて、3点の『ドービニーの庭』を描いている。一点はファン・ゴッホ美術館所蔵の庭の一部を描いた習作、もう一点は大きさはほぼ同じで、スイスのバーゼル市立美術館にある。実物を見ながら描いたのはバーゼル市立美術館のもので、こちらの作品はアトリエでの模写したものだそうだ。

しかしテオは、ファン・ゴッホの死後、模写であるこの作品をドービニー夫人に贈っている。きっとこちらの方がドービニー夫人にファン・ゴッホの気持が通じると思ったのだろう。アトリエで丁寧に描かれたものを・・・。
彼女はテオに「ご不幸なお兄様が私に贈ることを望まれたというこの絵を描かれているのを拝見しておりました時には、私がこの絵の持ち主になるとは考えてもいませんでした。お礼を申し上げますとともに、心からお悔やみ申し上げます」と感謝の言葉を寄せている。

現在、この作品はひろしま美術館が所蔵している。広島は1945年8月6日、世界初の原爆が投下され、爆心地から2キロメートル以内の場所では、燃えるのもは全て燃え、焼き野原と化した。14万人の命が奪われ、今も多くの人々が被爆者として苦しんでいる。「これから50年は草木が生えないかもしれない・・・」とも言われ、誰もがそう思わざるおえなかった。
しかし、自然とは冷たい一方で、計り知れない生命力がある。草木は人間の予想とは逆で、わずかに生き残っていたのだ。そして、新たな草木もどんどん生まれていった。
生き生きとした緑豊かなドービニーの庭の絵が、この広島の地にあることに心からうれしく思う。この絵の前に立つと本当に幸せな気持ちになる。ゴッホは浮世絵に惹かれ、日本に特別の憧れを持っていた。私にはこの絵が、ファン・ゴッホから広島への贈り物に感じてしまうのである。
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# by van__gogh | 2006-08-13 10:49 | ファン・ゴッホ | Trackback(1) | Comments(2)

画家と戦争・・・太田章の場合


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清らかで、瑞々しい浴衣姿の少女だ。これからお祭りにでも行くのであろうか…。そんなことは決してない。
なぜならば、昭和18年(1943)、画学生・太田章(1921‐1944)が太平洋戦争のために入営する数日前に、妹の和子を描いた絵だからである。
太田の父は一流の友禅染めの職人で、父の才能を受け継ぎ、彼は優秀な日本画科の学生であった。
しかし、昭和19年、出征先の満州でわずか23歳で戦死してしまう。 
戦争の絵を描いた画家といえば、まず、丸木位里・俊夫妻や香月泰男があげられるだろう。特に香月は実際にシベリアでの抑留生活を描き、多くの人に感動と戦争の悲惨さを教えてくれた。しかし、それは私たちが想像できない苦難の連続であっても、生きて還れたからこそ、描けたのである。
それもできなく、無念にも死んでいった若い画家や画学生たちの作品を所蔵している場所、それが長野県上田市にある「戦没画学生慰霊美術館 無言館」である。
母が2年前にこの美術館を訪れ、「無言館 戦没画学生祈りの絵」を買ってきてくれた。     
どの作品もまだまだ描きたくてたまらない…という若い生命力が感じられ、作品のすばらしさと同時に、やるせない気持ちでいっぱいになってしまった。
その中に、太田のこの作品も掲載されていた。
白と青の着物と緑の葉とのハーモニーが彼女の初々しさを一層引き立たせ、私は一目で心惹かれてしまったのだ。
そして昨年の3月、母と私は東京ステーションギャラリーで開催された「無言館展」に行くことができた。
いつも行く展覧会とは異なり、鑑賞者が絵とその説明をしっかりと噛みしめていることが、ひしひしと伝わってくる。
死者は無言だ。しかし、残された絵は、私たちに多くのことを語ってくれる。
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この時も太田の作品があり、今度は薄いオレンジ色の半袖のワンピースを着ている「和子の像」が展示されていた。
普段はモンペ姿なのに、素敵な浴衣やワンピースを着させ、妹を最高に美しく着飾ってあげたかったのだろう。
作品の横に説明文が書かれていた。太田は彼女に「もうちょっと、もうちょっと」と声をかけていたそうだ。長時間この姿勢でモデルをつとめるのは大変だったのだ。
彼は少しでも、たとえほんの少しでも自分の思いえがく絵を描きたかったのである。太田には、絵を描くことが最後になるかもしれないという不安と寂しさを、心のどこかに感じていたのだろう。
これらの作品には、絵に対する静かな執着心と妹への愛情で満ちあふれているのだ。そして、日本画特有の細やかな輪郭線が絶妙で、色使いが目と心にとてもやさしい。
先日、NHKの無言館の特集で、和子さんが出演した。
歳を重ねても、太田が描いたとおりの愛らしく誠実で、さらに涙もろい和子さんを拝見でき、私はうれしくなってしまった。
母親が早くに死んでしまったため、和子さんが親戚の家に預けられ、兄は一緒に暮らしていなかったという。
太田は戦地に行くことを和子さんに言わなかったそうだ。つまり、何も知らないでモデルになったという。兄は、愛するかわいい妹に心配をかけたくなかったのだろう。
少し前に、日本を代表する日本画家、鏑木清方や小林古径の作品を観る機会があった。
もし、太田が生きていれば、きっと、彼らに続く日本画家になっていたに違いない。そう私は信じるのだ。

☆太田 章 「和子の像(浴衣)」 水彩・紙  無言館         
☆太田 章 「和子の像(オレンジのワンピース)」 水彩・紙  無言館 
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# by van__gogh | 2006-08-13 10:47 | 日本人画家 | Trackback | Comments(0)