ファン・ゴッホ 『マウフェの思い出に』

f0104004_1965460.jpg

たくさんの花が開き、幸せな気持ちにさせてくれる。きっと、おいしい桃の実がたくさんなるのだろう。ファン・ゴッホの描いた『花咲く桃の木』(1888)である。
絵の左下を観てみよう。「マウフェの思い出に フィンセント」と書かれている。フィンセントとはゴッホのファーストネームである。
マウフェとは誰だろう…。マウフェとはゴッホの従姉の夫で、当時のオランダでは、有名な画家であった。
ゴッホは職を転々としたものの、どれ一つと長続きしない。しかし、1881年、28歳の時、自分の仕事は、最も好きな絵を描くことだと確信し、画家になることを決意する。その初期に、絵の指導をしてくれたのが、彼である。
ゴッホの絵は感情のままに描いたと言われることがある。しかし、その考えを全面的には賛成できない。なぜならば、彼の素描をみると歪みなど無い。色を塗る段階で、彼特有の技を加えるのであって、非常に正確で冷静なデッサンを描く。このデッサンの基礎を教えたのが、マウフェと言ってもいいだろう。 
彼は絵の指導だけでなく、ゴッホの部屋代や家具代なども工面してあげたようだ。そして、ゴッホもマウフェを尊敬し、お互い信頼関係にあった。
しかし、ゴッホは、自分の表現よりも、次第に売れる絵を描こうとしていく。そのことをマウフェが非難し、ゴッホも自分の過ちに気づき、絵をすべて燃やしてしまったと言う。それでもマウフェは納得できず、2人の師弟関係は終ってしまった。  
それから7年後の2月、ゴッホは南の太陽を求めてアルルに来ていた。
彼はこの絵を自信作と言っているが、絶頂期の始めに描かれたもので、彼の生命感、芸術感が強く伝わってくる。
そんな時、かつて教えを受けたマウフェの死を聞く。彼から見捨てられてしまったけれど、ずっとマウフェを慕っていた。だから、その悲しみを絵に託して、絵の左下にマウフェへの尊敬と感謝を込めて書き記したのだろう。この作品は、その後マウフェ夫人に贈られたという。
この頃、ゴッホはとても素敵な言葉を残している。
「死者たちを死んだと思ってはいけない。生きている者がいる限り、死者たちも生きているのだ…。僕はこのように考える。それ以上悲しくものごとを考えないのだ」と。
ゴッホの絵は、生前1枚しか売れなかったと言われている。しかし、彼は自分の描きたいように描き続けた。売れるような絵ではなく、マウフェの教えどおりに。
太陽の光に満たされ、真青な空の下に生き生きと根を下ろした桃の木。ゴッホが死者となった今も、そしていつまでも、この絵は生き続けるに違いない。

☆ファン・ゴッホ 『花咲く桃の木 (マウフェの思い出に)』 1888年 油彩 
クレラー・ミュラー美術館 
[PR]
# by van__gogh | 2006-06-16 23:12 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

アプサント

f0104004_1243138.jpg
ここはパリの場末のカフェ。あまり近づきたくないようなお店の片隅に男女2人がいる。どうやらカップルでもなさそうだ。ドガ(1834‐1917)の描いた『アプサント』 (1876)である。
女性の足元は大きく開き、育ちがあまりよくないことを何気に感じてしまう。
そして彼女の目は、テーブルの上にあるお酒、「アプサント」と同じように濁って、どんよりとしている。
日常の生活に疲れ果ててしまったのだろうか…。それともこのお酒に酔ってしまったのだろうか…。おそらく両方だろう。
一方、隣の男性の前にあるのは、アイスコーヒーと炭酸水を混ぜた「マザグラン」とう飲み物らしい。彼の目が赤いことから、酔いを覚ますためなのだろう。きっと、アプサントの飲み過ぎに違いない。
彼は隣の力の抜けかかった女性に無関心のようだ。もう話し合いは終ったのかもしれない。
酔いつぶれた2人は絵の中心には描かれていない。まるで、世の中のはみ出しもののように右端に描かれている。全く容赦ない描き方だ。
彼らの隣のテーブルに水差しがある。アプサントはアルコール分が65~70%と非常に高く、水で薄めて飲む人も多いそうだ。そうすると、黄緑色のお酒が乳白色になる。彼女の飲んでいるアプサントの色を見ると、薄めたとしても、たいして薄めていないのだろう。
2人をこんな表情にさせてしまうアプサントとは、どんなお酒なのだろうか。
調べていくと、19世紀のヨーロッパ、特にフランスの文学者や画家たちに好まれたお酒のようだ。
常飲すると主原料のニガヨモギに含まれているアブシンソールという精油のために神経系統を冒すという。そのため、1907年にスイスで、1915年にフランスで製造禁止になってしまったそうだ。
f0104004_12573216.jpgロートレックはアプサント中毒になり、命を縮めたそうだし、ゴッホもアプサントの飲み過ぎで、心身ともに打撃があったらしい。左はゴッホの描いた『アプサント』(1887)である。なぜだか、ゴッホの体とは裏腹に、窓から昼間の外の様子がわかり、ゴッホにしては薄塗りで、さわやかな気持ちのよい作品だ。
彼らと同様に、ドガもアプサントを飲んでいたかもしれない。しかし、自分にも人にも厳しい彼は、酔いつぶれたりすることはなかったのではないだろうか・・・。
彼の描いた絵は「鍵穴から生活を覗き見したようだ」と、しばしば表現される。
きっと彼のことだから、アプサントで身を滅ぼす人たちを冷静に見て、その姿までも絵にしてしまうのだ。そして、驚くことに、この絵のモデルはドガの友人たちである。女性が美人女優のエレン・アンドレ、男性が版画家のマルスラン・デブタンにポーズをとってもらった。(ドガは、やってくれるなぁ…)と思ってしまう。
多くの人を酔わせ、破滅させて、製造禁止になったアプサント。それでも人々には「アプサント信奉」があったようだ。今では覚醒作用のない新しいアプサントが製造されているという。
いつまでも人の心を誘う黄緑色のアルコール。本当に「懲りない魔性のお酒」である。
少し怖いけれど、安全になったアプサントを、いつか私も飲んでみたい気持ちだ。
[PR]
# by van__gogh | 2006-06-03 12:06 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

藤田嗣治『猫のいる静物』・・・ブリヂストン美術館

f0104004_1954649.jpg
「ブリヂストン美術館にも藤田のいい作品がある・・・」ということをネットで知り、どんな作品があるのかとても楽しみだった。
そして期待通り、しばらく立ち止まってしまったほど魅力的な作品が、『猫のいる静物』(1932・油彩)だ。
今まで乳白色の裸婦像で、背景が黒のものは何枚も観た。しかし今回は裸婦ではなく、猫。
その猫も、藤田がよく描く、いたずら好きの猫君。
絵の片隅にいて、これから目の前にあるご馳走をコソッといただいてしまおうかとたくらんでいるようだ。そして、鳥も(黙っていてあげるから、僕にもちょうだい!)と応援しているように見えてしまう。
台の上にある海の幸、野菜、果物、卵は藤田特有の細かい線猫で、質感と温かみが感じられる。私のお気に入りの1枚となった。
チケットをくださった、猫好きのLさん、心からありがとうございます!


ここは作品だけでなく、展覧会場のスタッフも一流だと思いました(また後で書きます)

その他展示されていた藤田嗣治の作品
☆『横たわる女と猫』(1932) 油彩 石橋美術館
☆『ドルドーニュの家』(1940) 油彩 ブリヂストン美術館
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-28 09:15 | Trackback | Comments(0)

バトン お題は『ゴッホ』

ヨーロッパ映画とユトリロ、コローがお好きなゆうちゃんから、バトンをいただきました。お題は『ゴッホ』です!
f0104004_21542512.jpg

ゴッホは私の一部分と言うと言い過ぎですが、それほど、大切な存在。苦しい時、悲しい時に、ゴッホの力強い筆使いを観ると、励まされ、力が出てくるんです。

【Q1:パソコンまたは本棚に入っている『ゴッホ』は?】
父から譲り受けたゴッホの本2冊、TASCHENの”VAN GOGH"が2冊。以前、ここの出版社の絵はあまりよくないとネットで書かれている方がいて、(偉そうな・・・)と思ったのですが、確かに他の画集と比べると落ちます(その罰でしょうか・・・。お茶を大量にこぼしてしまったようで、画集の下の部分がシミだらけ、トホホ・・・)。あとはカタログが2冊。大切な存在と書いておきながら、手元に本があまりなく、お恥ずかしい。

【Q2:今妄想している『ゴッホ』は?】
f0104004_2124310.jpg
ゴッホの甥であるヴィンセント君誕生における『花咲くアーモンドの枝』の脚本を書き、映画化(大嘘)。

【Q3:最初に出会った『ゴッホ』は?】
f0104004_216295.jpg
小学校の授業で、先生がMoMAの『星月夜』を紹介してくださいました。

【Q4:特別な思い入れのある『ゴッホ』は?】
①数年前、シカゴ美術館の特別展『ゴッホとゴーギャン展』で観た『種まく人』の習作です。
ゴッホというと、感情のままに描いたと言う人がいますが、彼の素描を見ると、入念にデッサンし、頭の中ですごくよく考えています。そして、キャンバスに向うとあのような構図になるのです・・・。そこが何とも言えず、興味深く、魅力でもあります。

②同じくシカゴ美術館の特別展で、今は離れ離れになっている『ゴッホの椅子』(アムステルダム)と『ゴーギャンの椅子』(ロンドン)の両方に対面できたことです。ゴッホの寂しい気持ちがひしひしと伝わってきました。
f0104004_20474621.jpg
f0104004_2362817.jpg


③METにある『じゃがいもの皮をむく』(1885)と『自画像』(1887)です。
f0104004_18293046.jpg
f0104004_18194969.jpg

これは一枚のキャンバスの裏表に描かれています。
『じゃがいも~』は1885年、オランダ・ニューネンで描かれました。私はアルル以降の色彩画家といわれるゴッホよりも、オランダ時代の農民たちを描く、農民画家としての作品に心が傾きます。貧しくても、惨めな雰囲気がなく、堂々と、威厳さえ感じるこの時代の作品がたまらなく好きです。
一方、『自画像』は2年後、オランダを離れ、パリに行ってから描かれました。新しいキャンバスが買えなく、『じゃがいも~』の裏に布を貼って、『自画像』を描いたのでしょう。この2枚の絵を見比べるとおもしろいです。
オランダ時代は暗い色彩でしたが、パリで印象派の作品に出会い、この『自画像』のようにどんどん作品が明るくなります。でも麦藁帽子を被ったゴッホは大都会のムッシュという感じがしません。パリの街でも、農民を愛する気持ちを忘れてはいなかったと思います。
 
【Q5:最後にバトンを回したい人とそれぞれのお題は?】
リナさんにお願い致します。お題は大好きなジウ姫で。
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-12 22:58 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

椅子

椅子とは、自分の小さな居場所だと思う。椅子に座ると、自然に心も体も椅子に委ねることになる。
仕事の場、休息の場、喜びの場、嘆きの場・・・多くの人にとって欠かせないところだ。
私は自分の部屋の椅子が一番の居場所だ。木製で、背と座る部分が淡いピンクの布で覆われ、座り心地がいい。
ゴッホは「椅子は人である」「椅子を用いて性格を描写することは、とても愉快だ」と語っている。
彼の描いた2つの椅子の絵を見てみたい。
1枚は『ゴーギャンの肘掛け椅子』、もう1枚は『ゴッホの椅子』である。両作品とも1888年12月にアルルで描かれた。
ゴッホはその10ヶ月前、パリを離れ、明るい太陽を求めてアルルにやってくる。そこで、画家の共同体を作ることが彼の夢だった。
貧しい画家たちが一か所で生活すれば、食費や家賃などの負担が減り、材料費の無駄も少なくなる。誰かの作品が売れれば、全員で平等に分配し、お互いが助け合い、競い合ってもいける。ゴッホは社会派の画家でもあったのだ。
彼はアルルに着いてから、パリに住む何人もの画家に「共同体」の声をかけた。しかし、誰も反応してくれない。
f0104004_20421236.jpgようやく8ヶ月目にして、仲間の1人が呼びかけに応じてくれた。ゴーギャン(1848-1903)である。
残念なことに、彼はゴッホの夢など頭になく、絵が売れず、生活費を浮かせるために、アルルにやってきた。
しかしゴッホは、仲間が来ることを素直に喜んだ。
謙虚な彼は共同体で自分がリーダーになろうとは思っていなかった。ゴーギャンこそ、リーダーにふさわしいと考えたのである。
彼への尊敬と愛情を持って買った椅子が、ゴッホの描いた『ゴーギャンの肘掛け椅子』だ。
肘掛けがあり、座る部分も布張りで、とても洒落た造りだ。床には絨毯がひかれ、ゴーギャンへの歓迎ぶりがうかがえる。しかし、よく見てみると、使われている木の多くが湾曲し、落ち着きがなく、威圧的でもある。また、夜の部屋で、ランプの光と緑の壁が重々しい。
f0104004_20414677.jpg一方、『ゴッホの椅子』は座る部分がいぐさで、全体が簡素な木でできている。床もタイル張りだ。これは共同体の仲間たちのために購入した椅子の一つで、ゴッホの椅子であることを示す、愛用のパイプと煙草が置かれている。昼間の光に照らされ、椅子はしっかりと床に根をおろし、力強い。
しかし、2人の性格はこれらの椅子と同じぐらい対照的であった。ゴッホは実物がないと描けないが、ゴーギャンは想像で絵を描く。一方的で思い込みの激しいゴッホと傲慢で腹黒のゴーギャン。
二人の会話は次第に激しい口論になり、椅子から立ち上がれないほど、心と体を消耗しきっていたことも多かったようだ。
そして2ヵ月後、とうとうゴーギャンはアルルを去り、ゴッホも精神病院に入院してしまう。
2つの椅子は最後には主のいない椅子になってしまった。しかし、これらの椅子は、2人のやりとりや心情を一番よく知っていただろう。椅子はそんな役割も果たしている。
私の座る椅子。特に自分の部屋の椅子は、誰よりも、何よりも、私の喜びや悲しみを一番わかっているのではないだろうか。

☆ファン・ゴッホ 『ゴーギャンの肘掛け椅子」』 Gaugin's Chair
1888年 油彩 ファン・ゴッホ美術館 
☆ファン・ゴッホ 『ゴッホの椅子』 Van Gogh's Chair
1888年 油彩 ロンドンナショナルギャラリー
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-12 22:50 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

ファン・ゴッホ 『花咲くアーモンドの枝』

f0104004_1519738.jpg

「この絵は、ずっと我が家の子ども部屋にありました」と語った笑顔が忘れられない。
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)の弟テオの曾孫が、テレビのインタビューで答えた時だ。その顔は曾祖父のテオよりもゴッホに似ていたことが、私には一段とうれしい。
彼は現在、ゴッホ財団の理事長をしている。
この絵とは、ゴッホがピストル自殺する5ヶ月前に描いた『花咲くアーモンドの枝』(1890)だ。この枝はゴッホ家を結ぶ枝といっても過言ではない。
1890年1月、ゴッホはアルル近郊のサン・レミの精神病院に入院中、テオの妻ヨハンナから一通の手紙をもらう。そこには「テオと相談して、私たちの生まれてくる子に、(あなたと同じ)フィンセントという名前を付けようと思っています。きっと男の子に違いありません」と書かれていた。
夫のテオは兄のゴッホに生活費を仕送りし、肝心の絵は全く売れない。それだけではない。自分の耳を切り落とし、その後、精神病院に入院しているのだ。その人の名前を生まれてくる子どもにつけようとする母親がいるだろうか。
しかし、ゴッホとテオ、そしてヨハンナが交換した手紙を読んでいくと、そのような疑問も消えていく。3人の心の交流は実に愛情に満ちているのだ。
そして、夫妻には間もなく、本当に男の子が生まれ、フィンセントと名付けられた。そこでゴッホは、生まれてきた子どものために一枚の絵を描く。それが、『花咲くアーモンドの枝』だ。
なぜ、ゴッホは子ども向きの絵ではなく、花の絵、それも、アーモンドの花だったのだろうか。
この花は1月末から2月ごろに咲く。寒さに負けず、凛として、春や夏の花よりもよっぽど強い花だ。日本では桜よりも梅にあたるだろうか。先日も湯島天神の梅を観ながら、アーモンドの花を想像してみた。
f0104004_2018236.jpgゴッホはこの2年前の同じ時期、寒いパリから南仏の明るい光を求めて、アルルへ来たものの、雪が降るほど寒かった。そのため、室内で、一輪のアーモンドの花、『グラスの中のアーモンドの花』を描く。彼にとってこの花は、春を待つ希望の花に違いない。
『花咲くアーモンドの枝』を描いたころ、ゴッホは精神的にかなり重い症状であった。そのような中、同じ名前の甥のために、必死でキャンバスに向かったのだろう。
精神病院時代以後は、それまでの鮮やかな色彩や強い筆使いに加えて、ゴッホ特有の「うねり」も見せている。
しかし、この絵には激しさや不安が全くない。生命感に溢れ、穏やかさと内に秘めた強さの両方を持つ。何と、愛情に満ちた絵だろうか。花びらは一枚一枚、丹念に描かれ、みずみずしい。背景には澄み切った冬空の青が絶妙で、未来を予感するのだ。
ゴッホ自身、忍耐と訓練でこの作品を描いたと語っているように、精神的な錯乱の中の作品とは思えない。  
生まれてきた甥に、このアーモンドの花のように、強くたくましく育ってほしいという祈りで、集中力を保ったのだろう。
ゴッホの絵は生前、一枚しか売れなかったともいわれている。どうして、今日のような世界的な画家になれたのだろうか。
それは、ゴッホとテオの死後、ヨハンナが彼の絵を広めていくのである。もし彼女がいなければ、おそらく、私たちはゴッホを知ることができなかっただろう。そして彼女の意志は、その息子、孫、曾孫(彼もゴッホと同姓同名)へと受け継がれていく。
いつか、春を待ちわびる本物のアーモンドの花を見ながら、ゴッホ家の温かなストーリーを再び思い出してみたい。


<追記>
私はこの絵のストーリーも、少し浮世絵の影響を感じさせる作品じたいも大好きで、愛用のマグカップもこの作品ですし、いくつもの画集でこの作品を見てきました。
しかしファン・ゴッホ美術館で、この絵の前に立った時、それは今まで見た数々の印刷とは違っていたのです。同じだけれど、違う。。。。。全く違う!!
この背景の繊細で優しく、瑞々しい水色、透き通る水色は、どんな印刷とも違っていました。
印刷では絶対に表せない色。。。。それを1番実感したのは、この作品の「水色」です。
もし、このブログを見てくださった方で、アムステルダムに行くことがありましたら、ぜひ、この色を見ていただけたら・・・と思います。本当に素敵な色なのです。

☆『花咲くアーモンドの枝』 Almond blossom
1890年 サン・レミ 油彩 ゴッホ美術館
☆『グラスの中のアーモンドの花』 Almond blossom in the glass
1888年 アルル 油彩 ゴッホ美術館
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-12 22:45 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(6)

ファン・ゴッホ 『赤いぶどう畑』

f0104004_14512527.jpg
ファン・ゴッホの描いた『赤いぶどう畑』を観るなり、燃えるような一面の赤い色に見入ってしまう。
きっと、彼の目には、赤いぶどうの色が強烈だったに違いない。
ファン・ゴッホはこの絵を南仏アルルで描いた。この地方は太陽の光の元で育った、おいしいぶどうがたくさん実り、多くはワインになるのだろう。
農婦たちは、太陽が沈む前に、最後のひとがんばりで、それぞれの仕事に精を出している。ファン・ゴッホは「腰の描き方」で、人々の働いている姿を、とてもよく表しているのだ。
彼らは、収穫の喜びによる心地よい疲れを感じ、懸命に働いているのだろう。この中のワイン好きの人は、実ったぶどうを見ながら、おいしいワインを想像しているかもしれない。
そして、太陽の光に照らされた川のまぶしい輝きにも私は魅せられてしまうのだ。
アルルで、ファン・ゴッホと一緒に、ぶどう畑を見た1人の画家がいた。共同生活をしていたゴーギャンである。彼の描いた「人間の苦悩」を観てみよう。
f0104004_14533233.jpg
主人公は、ぶどうを収獲している人々ではなく、その手前にいる悲しげで、思いつめている少女の姿だ。
ファン・ゴッホは観たものを描き、想像して描くことが苦手であった。一方、ゴーギャンはその逆で、観たものから想像を膨らませて描く。
だから、彼の絵は、収穫する人々ではなく、赤いぶどうの前で苦悩する少女がテーマなのだ。
ファン・ゴッホの夢は、アルルで画家の共同体を作ることであり、ゴーギャンだけが、その呼びかけに応じてくれる。最初、ファン・ゴッホはうれしくて、ゴーギャンの考えに納得できなくとも、受け入れていた。しかし、2つのぶどうの絵の違いのように、2人の関係は次第に冷え切っていく。そして、ファン・ゴッホは心のバランスを崩し、精神病院に入院してしまうのだ。
そんな苦しい時に、彼を支え続けた弟のテオから一通のうれしい便りが届く。
ブリュッセルの展覧会で、以前ファン・ゴッホが肖像画を描いた、ウジェーヌ・ボックの姉のアンナが、「赤いぶどう畑」を400フランで購入したというのだ。
この作品は2人にとって、忘れられない一枚なのではないだろうか。
なぜならば、ファン・ゴッホが生前売れた唯一の作品と言われるからだ。本当に「唯一」と言えるかはわからないが、きちんとした値段という意味では、この作品だけだろう。
もし私が、「自分の耳を切り、精神病院に入院している全く売れない画家の絵」と聞いていたら、そのことが先入観となってしまっただろう。
豊かな実を結んだ赤いぶどうと、その成長を与えた太陽の光。そして、そこで懸命に働く人々…。きっとアンナは、この作品のすばらしさだけを評価したに違いない。
彼女の鋭い観察眼と、将来を見通せる思い切りのよさは、他の誰よりも抜きん出ていたのだ。「自分の目だけ」を信じて購入されたこの作品。私もそのような「目」を持って、さまざまな作品と向かい合いたいものである。

☆ファン・ゴッホ 「赤い葡萄畑」 油彩 1888年 プーシキン美術館
☆ポール・ゴーギャン 「人間の苦悩」 油彩 1888年 
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-11 14:49 | ファン・ゴッホ | Comments(0)

藤田嗣治『髪を梳く裸婦(ユキの肖像)』

f0104004_2254485.jpgf0104004_22553889.jpg









千葉県佐倉市にある川村記念美術館に行ってきました。お目当てはもちろん、藤田の作品。

f0104004_14101461.jpg
まず、藤田が3番目に結婚したユキ(リュシー・バドゥ)の肖像、『髪を梳く裸婦(ユキの肖像)』(1931)。彼は普段、リュシーのことをユキと呼んでいました。「ユキとは日本でバラ色の雪という意味だ」と言ったそうですが、今一つ意味がわかりません・・・。
もし、「ユキの肖像」と書かれていなければ、思わなかったかもしれませんが、藤田の乳白色について1点、感じたことがありました。
今でも、藤田の描いた絵の中で、「乳白色」が最も好きです。後期に、再び「乳白色」を使っていますが、確かに奥行きも幅、そして色の強弱も初期以上にありますが、模索して、やっと見つけた初期の「乳白色」の方が好きです。しかし、「乳白色」と「日本画のような細い線描」だけでは、特定の人の個性を表わしにくいのでは・・・というのが、正直な感想です。私が見たユキの写真とはあまり似ていないように思います。
藤田の傑作と言われる『寝室の裸婦キキ』(1922)のように、特定の人でも、周りに黒を使ったり、壁やカーテンに藤田お得意の装飾柄を入れることによっては、乳白色が生きてくるとも思いました。
今回鑑賞した作品などがあまり続くと、面白みに欠けるように感じてしまいます。

そして、改めて藤田展を振り返ると、「乳白色」よりも、中南米や沖縄を描いた作品の方が、より生き生きと感じられます。薄塗りではあるけれど、さまざまな色彩や生活感を取り入れ、好作品が多いのです。
もちろん、「乳白色」や「油彩でありながら、細やかな線描」を描いたからこそ、パリ画壇で認められたのでしょうが、実はその後に、藤田の別の傑作があるように思えてきました。(少し、矛盾しているかもしれません。。。)

この後、画像はありませんが、『猫』(1950)を鑑賞しました。こちらは墨と紙で描かれているため、日本画のコーナーにあります。 母猫と2匹の子猫がこちらをジロっと観ています。鑑賞者たちに「私たちはそんらそこらの猫とは違います。高貴な猫様です」と言っている、そんな気高さが感じられ、なかなかおもしろい、好作品でした。


(つぶやき)
藤田の作品の他にもいい作品がかなりありました。でも、あまりにも監視員が厳しいというか、職務に忠実というか・・・。私はシャーペンを使っていたのですが、「それはペンですか?」と3回も尋ねられました(シャーペンと鉛筆は使用可)。それも書いている時ではなく、持っているだけで。それも同じ監視員に2度も。それだったら、BUNKAMURAのように、鉛筆を置いてほしいと思います(しっかり、投書してきました)。
その他、絵の前に線が引かれていないことはいいことですが、近づきすぎると注意を受けます。何だか、落ち着いて鑑賞できない・・・。そんな美術館でもありました。
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-07 09:34 | Trackback | Comments(0)

ゴッホの描いた刑務所

f0104004_21225699.jpg
囚人たちの重たい足音が聞こえてきそうだ。そして、こちらをジロリとにらむ金髪の囚人にドキリとする。本当に険しい表情だ。恨んでいる相手を思い出したのかもしれない。それとも私たち鑑賞者に、「ジロジロ見るな」とでも言いたいのだろうか・・・。
ゴッホの描いた『刑務所の中庭』(1890)である。
刑務所というと、「犯罪者を隔離する恐ろしい場所」というイメージだ。
1度だけ、府中刑務所の前を通ったことがあるが、コンクリートの高い塀で覆われ、それだけで、別世界の恐怖を感じてしまう。
映画やドラマでも、たまに刑務所が出てくることがある。何だか囚人同士の中にも、上下関係や強度のいじめがあり、罪を償う場所ではなさそうだ。
彼らは、運動不足や規律のために、この絵のように、中庭で運動をさせられるのだろう。
直線ではなく、終わりがいつだかわからない短い円を何周も回る。監視人が「終わり」と言うまで。
監視人は3人。しかし3人とも心ここにあらずという感じである。2人は何かを話しこんでおり、もう1人は囚人を見るどころか、下を向いて、居眠りでもしているのだろうか・・・。
同じ囚人服を着ていても、体格や姿勢はさまざまだ。
年をとってからの入所なのか、それとも長い期間入所しているのか、すでに腰が曲がっている人もいる。また、ポケットに手を入れている人など、囚人の異なる表情を、ゴッホはとてもよく表している。
もしかしたら、いじめや過酷な労働から一瞬だけでも離れ、誰からも話しかけられることなく、黙々と歩いていることで、ホッとしれいるのかもしない。
そして、不思議なことに、彼らには生きることへの執着も感じる。特に真ん中の囚人に。
左上に小さく見えるのは、2匹の白い蝶だ。この蝶の存在がこの絵の救いでもある。囚人たちに、しっかり罪を償うよう、希望を持つよう、話しかけているように思えてしまう。
f0104004_21233333.jpg

解説書には、「真ん中の男性がゴッホだ」とか、「彼の精神状態を代弁した作品」と書かれているものが多い。
ゴーギャンとの不仲により精神のバランスを崩し、自分の耳たぶを切ってしまったゴッホ。その後、自ら精神病院に入院する。この作品もその時に描かれたものである。そう聞くと、素直に納得してしまいそうだ。
しかし私は声を少し大にして否定したい。
まずゴッホは精神が錯乱している時には絵を描いていない。
そして実はこの作品はフランスの挿絵画家ドレの版画作品『ニューゲート監獄-運動場』(1872)の摸写で、この原画にかなり忠実に描かれている。
確かに刑務所は精神病院と同じく、閉鎖的な場所だ。しかし精神病院で多くの患者を見ていても、牧師の家庭に育った彼は、「病人」と「罪人」を全く異なる世界と考えていたのではないだろうか・・・。だから、病気の自分と囚人を重ねて描いたと、私には思えないのである。
さらに、暗く重々しい刑務所のレンガや石畳に「青」や「緑」を用い、蝶が飛んでいるあたりの色合いは、光り輝いている。
ゴッホはドレの表現力に感銘し、「自分だったら、こんな表情をつけ加えたい。あんな色で表現したい」と、そんな単純かつ冷静な理由で、この作品を描いたのではないだろうか。


☆ファン・ゴッホ 『刑務所の中庭』 油彩 1890年 プーシキン美術館
☆ギュスターヴ・ドレ 『ニューゲート監獄-運動場』 栃木県立美術館
[PR]
# by van__gogh | 2006-05-01 21:18 | ファン・ゴッホ | Trackback | Comments(0)

感動の絵を再び

f0104004_20585231.jpg
















どうしても、この絵をもう一度観たかった。
数年前、東京で開かれた「メトロポリタン美術館展」で観た、ピカソの「盲人の食事」(1903)だ。
そして、この絵をニューヨークのメトロポリタン美術館で、再び観ることができた。
ピカソは誰もが20世紀を代表する芸術家だと言うだろう。しかし、彼のキュビスム以降の作品ばかり観ていたころの私は、他の惑星からきた作品のようで、理解しにくかった。
その後、人間の悲しみや、ありのままの姿をリアルに描いた「青の時代」を知り、彼の作品に急に惹きつけられていく。
「青の時代」とは、1901―1904年までをいい、親友の自殺がきっかけで、悲しみ、苦しみを表す色として、青系統の色を選んだようである。
「青」という色は不思議な色だと、時々思うことがある。人は、しばしば「今日はブルーなの」と言う。「憂鬱」や「不調」の意味を表す色である。一方、「青い空」「青い海」のように、さわやかな希望の色でもある。
ピカソの「青の時代」はもちろん、前者の「青」である。
当時、彼は不安な生活を送る貧しい人々、体の不自由な人や老人たちを、作品として多くとりあげた。
私は、どことなく切なくて、寂しくて、画家の気持ちがこめられた「青の時代」に強くひかれる。
「盲人の食事」は美術館一階の「近代美術のコーナー」にある。
1903年、22歳にバルセロナで描かれたものだ。
作品の目の前に行くと、数年ぶりに観ることのできた喜びと内容の深さに感心してしまい、再び佇んでしまった。
ある人は、この作品の盲人がかわいそうで、絵の前に長くいられなかったと言っていたが、それほどリアル感がある。
私の場合は、いたたまれない気持ちを抱きながらも、繊細な描写に圧倒されて、見入ってしまった。こんなに心の底から湧き出る感動は滅多にない。
絵の背景と人物の洋服は濃い緑に近い青で描かれている。「青の時代」の他の作品より暗い青で描かれているのは、この人物の悲しみや苦しみが大きいからであろうか。
人物の眼と手の描き方に特に注目したい。眼は少し奥まらせ、ぼやかしている。この人物の眼が不自由であることを、絵はすぐ、わからせてくれる。
そして、より一段と近づくと、見えない眼で一生懸命、物を見よう、探ろうとしている、この人物の気持ちが強く伝わってくる。
口元や首筋には力が入っていることが明らかにわかり、静かな場所で、食事をするぐらいの小さな動作でも、精神を集中させて、物を探っている様子がうかがえる。
そして手の表情だが、この人物にとって、手は「眼」でもあるのだ。水差しをまさぐる右手。見えなくても、視線は右手の指先にある。そして、すでに食べ物を得た安堵の左手。手は長く、鋭敏に見える。
ピカソは「手の表情」をうまくとらえた画家の一人だと、私はいつも思う。特にこの触感で生活している人物の手の描写は、一段とよく描かれている。
何てすばらしい作品だろう。この人物の悲しみや苦しみ、そして計り知れない努力。ピカソの思いに秘められた細かい描写。そして、私の心の叫び。いろいろなことが交差して、感動でいっぱいになってしまった。 
東京に帰ると、また、ストレスのある生活が続く。そんな時、少し眼を閉じて、感動の絵を再び思い出して。

☆パブロ・ピカソ「盲人の食事」1903年 油彩 メトロポリタン美術館 
[PR]
# by van__gogh | 2006-04-30 20:57 | ピカソ | Trackback | Comments(0)